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わかりたかった、わかられたかった

「わたしはなぜコーチングをしているのか?」
「コーチングを通して何を表現しているのか?」
「わたしのいのちはどのように生きたいのか?」

コーチのためのCCE講座『いのちを生きる」の一期が先日完了を迎えました。講座の期間はこの問いを探究した1ヶ月半でした。

そういえば、コーチングを始めてから5年ほどになりました。
探究し続けている「わたしはなぜコーチングをしているのか?」という問いのこたえは、探究が進むごとに移ろい、深くなっていきます。
今のわたしならどんなふうにこたえるだろう、と好奇心のまま書いてみます。

美しさにふれたい

私はなぜコーチングをしているのか。
それは、人生の・人間の美しさを観たいから。

コーチングで見えてくるのは、一人ひとりの人生であり、いのちの壮大さであり、荘厳さ。
なんて美しいんだ、といつも感動させられます。
この震えるような感動体験が、私がコーチングをしている意味だと思っていました。
それを握って走り続けてきました。

ここ半年ほどでふとわいてきた問い。
じゃあ、この感動の源はなんだろう?

わかりたかった、わかられたかった

思い出されるのは、小学校高学年の頃の体験。
もともと群馬県の父方の実家で祖父母とともに暮らしていたところから、父の転勤にともなって、両親と私、妹2人の5人家族で父の会社が用意してくれた東京の寮に入りました。

同じ時期に、母がとあるキリスト教の一宗派の教えに出会い、熱心に学び始めます。
大人になってから聞いてみると、3人の娘の子育てに悩んでいてのことだったそうです。

「自分は悪いことをすると、叩かれたり外に出されたり蔵に閉じ込められる教育をされてきた。それは違うと思いながらも、娘たちに対してどうしたらいいのかわからなくて指針が欲しかった。」

この母の信仰心は、父や父の両親(そして母の両親にも)受け入れられず、家族の関係性が大きく変化していきます。
父の実家も母の実家も、信仰や宗教に関しては田舎では一般的な家庭。お仏壇があり、お線香をあげて手を合わせる。先祖代々のお墓があり、お葬式のときにはお寺さんを頼む。そんな家でした。

そんな中、私は小学校の授業で憲法について学びます。日本国憲法20条には『信教の自由』が定められていると聞いたのです。

そこで、純粋な疑問がわいてきます。
『なぜお母さんが聖書を読むのはいけないんだろう?なぜおばあちゃんはあんなにも怒るんだろう?』

この疑問を何度も何度も祖母にぶつけました。当時の気持ちはわかりませんが、今思い出されるのは純粋な疑問の気持ち。
『憲法で保障されているのに、なぜダメなの?』

今ならそれを絶対に許せなかった祖母の気持ちにも少し思いやりと理解を向けることができますが、当時は小学生。なぜ?が消えません。
祖母は祖母で、その許せない気持ちを建設的に表現し対話する術を持たなかったのでしょう。
『ダメなもんはダメ!ご先祖様に感謝できない人間はこの家の者と認めないよ』の一点張りでした。

ご先祖様に感謝する気持ちを持つことと聖書を読むことはなぜ両立しないのか?私はお線香をあげてとりあえず手を合わせてるだけでなにも思ってないけどそれはいいことをしてることなのか?
とにかく小学生の頭でたくさん考えて疑問を言葉にして祖母に聞いてみましたが返ってくるのは『ダメに決まってるでしょう!!』の言葉ばかり。

ああ、わたし、あのとき、おばあちゃんの気持ちをきちんとわかりたかった。
そして私の気持ちも表現して、わかられたかった。
丸く収まらなくてもいい、真実を知りたかったし表現したかった。

どんな言葉であれどんな態度であれ、そこにはわかられたい感情とニーズがある。

私はそれをわかりたい。そしてわかられたい。

これが最近の探究をとおして繋がれた、いのちの願いです。

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ここまでお読みいただいたあなた。
本当にありがとうございました!

今日がすこやかな1日でありますように!

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