見出し画像

SNS発の音楽キュレーターがRADIO CRAZYでライブレポする話

27日〜29日に行われるRADIO CRAZYにて、遊津場は3日間オフィシャルライブレポートを担当することになりました!15組を担当する予定です。

言わずとしれた西で最も大きい冬フェス。
邦ロック好きにとっての大忘年会。
そこにフリーランス転向1年目でライターとして関われること。
昨年まで音楽とは関係ない仕事をフルタイムでしていた邦ロック好きがSNSを駆使し、いろんなインディーズアーティストと関わったことで、たどり着いたこと。
自分の中のレディクレの思い出も相まって、さすがにこれはクソ痛い文章を書かずにはいられません。

自分語りゾーン

僕はコンビニおろか自動販売機さえ数えるほどしかない地域出身で、大学進学してから今まで神戸に住んでいます(半年だけ福岡いたけど)。
中2から邦ロックにハマってますが、もちろん地元にいる時はライブに物理的に行くことができなかったし、大学でも結構部活ガチ勢であまり行く暇がなかったです。そして少なくとも20歳までは「邦ロックは聴くもの」という感覚でライブへの憧れもあまりありませんでした。そもそも周りに聴く人もいなかったし、何よりこの頃からディグディグディグディグしてて、それで充分楽しい。

ただ何故20歳までとしたかというと、大学2年の冬、20歳の誕生日に友人が「NICO Touches the Wallsのライブ奢ったるわ!」ということがあって(今思えばアイツ気になる女の子を誘えなかったんだろうな)、そのライブで初めて学外の邦ロック好きのコミュニティを知り、仲良くなりました。当時僕はSNSやってないので「こういう出会いもあるんだー」と思いましたし、ライブへの興味が生まれました。
大学3年の時はピークで部活が忙しくて、たしかライブはBUMPの1回だけ…?しか行ってないものの、そのコミュニティから派生したのも含めて5名くらいと仲良くなり(何故か誘ってくれた友人は消えてた)、大学4年の就活終わりの5月くらいから、2ヶ月に1回くらいライブに行き始めました。とは言え、そのコミュニティのメンバーと一緒にライブ見たのはアルカラとTOTALFATのツーマン1回くらいで、基本的にぼっち。ロッキンも行きましたが完全ぼっちでした。
それで満足していたのだけど、そのコミュニティのメンツ勢揃いで初めて見たライブが、RADIO CRAZY2014だったんですね。
これがもう本当に楽しくて。恐らく本当の意味でライブやロックフェスの楽しさを知ったのが、この日だったかなと思います。今まで音楽聴いて感情出すのは部屋の中までと思ってたけど、外で仲間と出して共有する楽しさと、でもあくまで目の前で鳴らされる音楽とは1vs1で楽しめた感じの、この共存がたまらん。
翌年の新卒1年目は自分の中でかなり精神に堪えた年で、結局10月で退職してるんですが、その年末にも参加して間違いなく当時大学卒業後で1番楽しかった日。そのエネルギーを持った年明けの転職面接で採用になっているので、マジでレディクレのおかげもあると思ってます。
その後は仕事の都合もあって、行ったり行かなかったりですが、自分の中で1番多く足を運んでいるロックフェスなんです。(ちなみに同じくらい思い入れのあるフェスにワイバンがあるんですが、その話はまた関わる日が来た時に)
FM802に関しても2016年から毎回ミナホに行ってるし、2021年からは社用車の移動中に中島ヒロトのRADIO MASTERSを聴くのが日課になってたので、社会人生活を彩ってもらいました。ヒロトさん、会えるかな。

そして2017年に遊津場を始める時には「関西いるし、将来的にレディクレと何かしらで関われたら」という気持ちを持っていました。正直当初はライターとしてというより、何かの賑やかし枠をイメージしてたんですが、フリーランスになった今年の目標はレディクレでライターをすること。
今も至らない部分がありすぎて、不安はあるけど、僕にしか関西ではできない今年のあの選択やこの選択…なんとか正解にしたのか…漲ってるな…今とても!

インディーズアーティストへの感謝


こんな自分がレディクレと関われるのは、本当にこれまで突然の紹介を受け入れてくださったインディーズアーティストの方々のおかげです。
正直なところ、嬉しい気持ちと実は申し訳ない気持ちもあります。別にステージを1枠奪ってるわけじゃないけど、なんかインディーズアーティストを踏み台にしている感じにも見えなくない。どうしても影響力も必要な活動スタンスなので、フォロワー数も多くなって威圧感はある。イベントを作ったりもしてますが、どうしても還元には限りがある。ちょっと前に関わりの長いバンドマンに会った時に「遠い存在になりましたね」と、皮肉のない、なんならおめでとう的な感じで言ってたものの、少し刺さりました。イベントに出演してもらったバンドもたくさん解散してる中、どこまで喜んでいいんかな…とも思って、このnoteも前日公開にしたりしてる。
そんな逡巡があったので、この前の11月のイベントの出演者への挨拶で「3年後、全員レディクレで会おう」と言った時、自分はライター決まってますって言えなかったです。でもあの充実した日が終わった今なら言える。絶対会おう。そして書かせてくれ。

結局、我流なSNS生まれの自分にできることは本当に良いと思うアーティストをSNSや文章、イベント制作で見返りを求めず発信すること。
僕の思うSNSの良い使い方は、フォロワー数を武器に誰が見てもブレイクするような段階のアーティストに縋って、自分の格を上げるのではなく、幅広いネットの情報から取捨選択して、誰もが持つ可能性を信じること。そしてそんな僕に期待してくれるバンドマンやアーティストからの実直な依頼や期待には、これからも全力で取り組むことしかないです。
言葉や気持ちだけでなく、目に見えて分かるルートも準備したいし、そんな自分に協力的にいてくれているライブハウス、EggsやAWA、メディアやレーベルの関係者にも感謝を忘れません。

正直記事書いたり、イベントブッキングしたりして「うわぁ見下されてるなぁ!」と思うことは毎週あります。でもその時にネガティブな発信をなるべく押さえたのは、売れてようが売れてまいが0から1を生み出す人はとんでもない能力だと思ってるし、今でも感謝してくれたり、顔を覚えてくれて挨拶してくれるバンドマンとかを傷付ける要因になることを減らしたいからです。
結局はそんなクリエイトする能力のある人を、もっと知ってもらうことが、マジで世界を良くすることだと思うし、その手段の1つとして「関西でSNSをよく使う音楽ライター」を選んでると思ってます。

関西で希少なSNS発のライターとして

そして人生で最も音楽と発信のことを考えて生きてきた2024年の締めがレディクレとなりました。
正直、関西のライターでこんなレディクレにクソデカ感情を持って、しかも表明している奴はいないと思います。でも僕の世代は、職業関わらず憧れの舞台に関わる時は発信するもんだと思うんですよね。言うなれば「正しい承認欲求」というか、事前に言わなきゃ失礼な気もしました。僕からしたら本当に日本シリーズとかM-1に出るようなもんですよ。

僕は何の後ろ盾もないSNS発なので、フォロワーさんの存在もかなり大きい。特にXで見続けてくれてるような一般の方は25歳〜35歳の同年代が多いのかな。この方々には普通にこう言おう。
「やったぞー!」

今の関西の音楽の発信に関わることについて、ここでは言及しませんが、僕を見て「あれ?こんなルートがあるんだ!」と思った西の若い人がいたら、割とそれは狙いの1つです。どんどん流れ込もうよ。
そして明日からの3日間、あのレディクレの現場で多数の関係者と仕事することで得られるものは、きっとすごいと思う。
2025年はさらなるパワーとアイデアをもって、発信できることでしょう。多分それは衰退していく文章の可能性も、メディアの可能性も広げるものになります。てか、そうします。ド田舎で暮らした10代×部活に本気の4年×社会人経験の8年×それと並行した遊津場の6年+フリーランスの1年が爆発する気がしてる。

というわけでアラサーっぽいライターがインテックスにいたら僕です。
気合いは入れてますが、やることはこれまでインディーズバンドが呼んでくれたライブハウスイベント等と同じように、自分のSNSからの発信経験とイベント経験を活かして、良いイベントの歯車に全力でなるだけ!よろしくお願いいたします!

いいなと思ったら応援しよう!