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自己紹介

どうも、うえすです。
本名は「さき」ですが、ありきたりなのが嫌な私は小学校の頃付けてもらった
あだ名を23になった今も使っています。

小学生当時、学校では大人しく人目を気にしがちな反面、家や放課後クラブでは活発な子でした。いわゆる内弁慶ってやつです。

そんな私も中学に入り環境が変わるにつれて発言が得意になり、モテるようになり、少しづつ自分に自信が持てるようになりました。

好きな科目は英語。中2の時、教育熱心な両親のおかげで1ヶ月カナダでホームステイを経験しました。そこで英語の話せなさと話しかける勇気のなさを痛感し、帰国した日に悔しくて号泣しました。そこから自然と英語に一段と力を入れるようになりました。

そんなわけで海外に興味を持った私は地元広島の国際コースのある高校に進学。
最初は馴染めるか不安だった女子が8割のクラスでしたが、友達もでき合唱部に入って楽しい日々を過ごしました。

高2ではさらなる海外を求めて、ドイツに10ヶ月留学させてもらいました。普通の日常を過ごすために日本にいる時の何倍も努力が必要だったのか、人生で最も生きてる!って感じがした時間でした。

留学当時、社会の授業で児童労働について知り、自分が大好きだったファストファッションの裏側を知った私は、自分の豊かさの裏で苦しんでいる人がいる現実を知り、そういった問題を大学で学びたいと思いました。

親に何十万もかけてもらって専門塾に通い、毎日小論文を書いてAOに備えたにも関わらず、不合格でした。

そのAO入試では、10人規模のディスカッション、講義レポートとそれに基づく小論文、最後に面接という種目でした。

ディスカッション力や小論文なんて学校で習わないのに、
アドミッションポリシーにある「課題解決力」なんて授業で使わないのに、

どうして大学に行く時にはそれができてなくていけないんだろう。

一所懸命志望校を選んだのに、行けなかったら意味がない。
と日本の教育に矛盾と恨みを持ちました。

この背景が大学で「国際教育」を専攻したきっかけの一つです。
山梨県の田舎にある大学に進学し、様々な悩みを抱えながらも
たくさんの友達をつくり楽しい4.5年間を過ごしました。

ファストファッションのことを思い出したのは、3年生の時、コロナ禍でした。
留学からは4年経っていたにも関わらず変わらず「やりたい」と強く思いました。

周りの力を借りて、社会課題を扱った映画の上映会を企画するうちに同じような問題意識を持った仲間ができました。

が、映画上映後のディスカッションにはお決まりのオチがありました。
「社会課題は複雑すぎて結局社会のシステム全体が変わらないと意味がない…」

そうかもしれないけど….ネガティブになって終わることに飽き飽きした私と仲間は、実際にアクションを起こすことにしました。

その仲間で「しぇあはぴ」という団体を作り、学食へのヴィーガンメニュー導入や地元のスーパーの環境対策に関わったりしました。

色んな壁にぶつかりましたが、私はしぇあはぴで過ごす時間が大好きでこれを仕事にできないかと考えた時期さえありました。

しかし、あまり現実的な考えではなかったため、就活をしました。
当初、企業=営利目的と思っていた私は自分の思想に合うものが全く見つからず途方に暮れていた時期もありました。(この辺の気持ち共有したい!)

色々経て、自分の軸を明確にするにつれて、共感できる企業にも出会えるようになりました。その中から環境課題を中心に社会課題に真剣に取り組んでいる企業に就職することになりました。

現在は大学を卒業し、来月から東京での就職に向けて、引っ越しやらやり残したことやらを消化する期間です。

その一環として、自分を整理する意味でnoteを始めてみました。元々インスタ発信派でしたが、情報の多さに疲れてしまいました。
なので、今後はこちらにつらつら書いていけたらと思います!







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