私とでんぱ組 子育て編
次のお店はコンカフェならぬ仙台初出店コンカットサロンだった。
勤めて数ヶ月後妊娠を告げるとクビになった。妊婦を解雇するのは法律違反です。
クビになって数ヶ月後そこのお店は潰れた。
妊婦中は前のサロンに手伝いに行ったりした。謎に逃走した私なのにお客様もスタッフもみんな喜んでくれた。この日に予約したから来てね!とスタッフもお客様も連絡をたくさんくれた。
そう。私は対人運が抜群にいいのだ。
人生で1回しか会わない人、毎日会う人、どんな人でもみんないい人ばかり。私がいい人なのではなく、私の周りにいい人がたまたま集まってくれる。ありがたい。
そんなこんなしながら出産。子育てが始まる。
繊細過ぎる息子は私以外を受け入れず寝ても覚めても一心同体。ベビーカーには乗らず常に抱っこを求め、寝たと思っても離れると5分足らずで泣いて起きる超絶熱狂的ママ大好きベイビーだった。
アレルギーやら先天性の貧血やらで病院通い、入院、食事管理、身体も目も離せずワンオペの私は命を守る責任と意思通りに物事が進まない毎日に気が狂いそうだった。
一般人の私で気が狂うのだからみりんちゃんは本当に大変だと思う。
子育てだけではなく多方面考えることは遥かに多いだろうし、その中で生活をし、なおかつアイドルとして復帰しているのだから。大尊敬だ。
息子が2歳くらいの時からNHKの子供番組に飽きた私はパワーが欲しくなり久しぶりにでんぱ組のおつかれサマー!をみる。
暇さえあれば見る。
暇がなくても音を楽しむ。
NHKがやっていない時間帯はとにかくでんぱ組をつける。
息子が自然とタオルをまわし、歌詞を覚え歌いながら踊るようになった。
みりんちゃんの夜露死苦!がお気に入りのようだ。わが子ながら力の入れ方が違う。
戦隊系の赤が好きに通ずるモノを感じた。
当時1番くじで当たったアイロンワッペンは息子のリュックに貼るように命じられ、ぬいぐるみは息子によって平等に分けられた。推しのねむちゃんとピンちゃんは2個ずつ当たったので1個ずつだ。
みりんちゃんは息子でえいたそは私。
りさちゃんともがちゃんは最後まで当たらなかった。
そのでんぱ組リュックを背負って息子は保育園に通い始める。
当時の旦那は(とりあえず1回言ってみような感じで)やめろよと言っていたけど、息子は大のお気に入りだったのでそれ以上は何も言わなかった。
私は息子が幼いうちは早退しても、当欠しても大丈夫な事務の仕事をとりあえず始める。
これまでの人生に全く関わりのない界隈のお仕事で、感覚がバグっていた私はこんなに楽なのにお休みもあって、時間も短くて(美容師時代の拘束時間は毎日15時間超え)こんなにお金が貰えるの!?と衝撃を受けた。
とりあえずで始めたのに、そこで今も営業の仕事をしている。今は普通に疲れるし、楽ではない。当時はやはりバグっていた。そして若かった。
そして美容師もしている。
謎の逃走劇を繰り広げたにも関わらず、出産後もずっと細々と縁が切れず続けている。営業の仕事が休みの日、息子とお出かけしない日は美容師。ダブルワークお母さんなのだ。
そして本題なのだが…
こんなに長いこと好きなのに私は1度も生のでんぱ組に会ったことがなかった。
元気をくれたり、過去を振り返って受け入れるきっかけをくれたり、時にアキハバラとは何ぞやを教えてくれる幻のネッシー的なカッパ的な存在のように感じていた。
本気を出せば行けるライブはきっと間違いなくあった。
でもそれでいいと思っていたし、それが良いとも感じていた。
いつか会える日まで私も恥じぬようがんばって生きなくちゃ!を支えにCDやDVDを買って在宅で応援する。
それが私に合っている気がしていた。
あの日までは…