しがない大学生が戦争について考えてみる
こんにちは、大学の新学期が始まるためにイギリスに戻ってしばらく経ちました。今までのnoteで述べたか覚えていませんが、私はとある大学で政治学と国際関係学を専攻しています。
では本題に入りますが、先ほど私の専攻を勝手ながら述べた理由は私がイギリスで政治学・国際関係学を学んだ上で持った戦争への価値観や考えを忘れてしまう前にここに残しておきたかったからです。
本題からは若干ズレるかもしれませんが、私は定期的に映画風立ちぬの予告編を見て涙目になりながら戦争について考えています。まずここではっきりさせておきたいのは”いち日本人”としては戦争は絶対的に反対派ですし、日本は日本だけは本当の意味で戦争が与える影響や戦後何十年が経っても残る爪痕について他の国に伝え続ける責任があると思います。ただ、戦争を学問的に見てるとやはり戦争は最も効率的にお金が得れるビジネスだと再認識するのです。多国を巻き込むような世界戦争に勝利した戦勝国は経済的な利益があるだけではなく、政治的にもその後10年ほどの世界の覇権を握れることが確定しています。その恩恵は今の国連の戦勝国が拒否権を持って自分のやりたいようにやっている現状を見ているだけでありありとわかりますよね。ですから、この学問を始めるときは国連に憧れていたのに学び始めると国連に絶望するのは全ての政治学生・国際関係学生の通る道な気がしています。そしてここ数年の日本は経済低迷が目立ち、急速に成長する東南アジアや南アジアの経済成長に押され続けています。この現状の一つの理由として世界と経済的に争うことへの姿勢がそもそも異なっているのかなと個人的には思っています。「経済的な国同士の衝突は戦争を生み出しかねない」ことは当たり前ですが、日本はその点それを徹底的に避ける傾向にあるのかなと思っています。争いになるくらいなら、我慢するよといかにも日本らしい政策だとおもいます。この徹底的な保守的な姿勢の裏には第二次世界大戦の教訓がいきているのでしょう。日本は第二次世界大戦でもう他に何も失うものがないと言えるほどボロボロになりました。そして高度経済成長にお隣の朝鮮での戦争への武器を売ることで最底辺だった日本の経済は鰻登りとなりました。ここで考えることは戦争の無意味さを最もわかっているはずの日本が戦争協力者という立場に取られてもおかしくない武器を売買することで経済の再興を果たしたことは果たして良かったのかということです。そして同時に戦争協力者になってしまうことの裏にはただ純粋に技術の発展を願って努め続けたエンジニアたちがいるということであり、その人たちの情熱や努力は責められるべきではないと思うのです。最初に述べた映画風立ちぬは特にその罪もないその時代を精一杯いきた熱意を持った人たちの生涯を描いていて心が締め付けられます。戦争は悪意の象徴のようによく扱われますが、実際は数えきれない善意が無碍にされたものなのではないでしょうか?
やはり熱量を持って戦争について考えてみるとやっぱり熱くなってしまいますね笑。そろそろお開きにしたいところですが、最終的に私が言いたいことは戦争という事象はその後生まれゆく世代が”過去にあった日本が恥じるべきこと”と習う裏には何百万人、何千万人の人生が、希望が、情熱が、愛があったということ。そして私自身も大学生になって初めてそんな当たり前のことに気づくことができたのです。これは大学で学問的に戦争を考えていなければ起こり得なかったことと言いきれます。でも、私はそれをより若い世代により多くの人たちに伝わればなと心で細々と今日も願うのです。
自分で読み返すだけで安っぽい正義感に溢れた文章だなと飽き飽きしますが、「いつかこの私の持ってる熱が誰かに伝わればいいのに。」「この心の中のぐちゃぐちゃした気持ちを整理できたらいいのに。」こんな細やかな願いがいつか叶いますようにと今日も願いながら締めたいと思います。
整理もされていない長々とした文章を最後まで読んでいただきありがとうございます🙇♀️