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【無料コラム】人生には言い訳が必要な理由

占い師でライターの沙木貴咲です。

人生には退屈なものややりたくないことが必要で、一見すると不要なものに、実は助けられている場面が多いなと感じます。

人生がすべて好きなこと・楽しいこと・やりたいことに満ちているのは素晴らしいことですが、ポジティブなものにずっと向き合っているのも実は苦しいもので。

まったく逃げ場がない状態でつねに自分と向き合い、挑戦をし続けている状態だと思うのです。


これは、そういう状況に身を置いたことがある人は何となくでもわかると思うのですが。


たとえば、好きなことを仕事にしたとたん、それは好きなものではなくなったりします。文章を書くことが好きだからと会社を辞めてライターになったら、書くことの辛さが見えてきて、すっかり書けなくなってしまったという人は少なくありません。あるいは歌うことが好きだから歌を副業にするために試行錯誤するうち、趣味で歌っていたほうがずっと幸せだと気づいた、とか。

そういう経験を何度も繰り返してもなお、好きなことをやり続けられる人だけが、人生全てを好きなこと・楽しいこと・やりたいことで満たせるのだと、私は思っています。

そして、そういう人は決して多くないとも感じています。


なぜなら、人間は息継ぎをしないで全速力で走り続けることが難しいからです。

精神的にも体力的にも。

好きなものですら、離れる時間を必要とするんです。

「何もしない時間」を欲してしまうし、隙なくずっと真摯で居続けると辛くなります。


私は、「何もしない時間」を持つことはかなり贅沢なことだと思うのですが、人は「何もしない時間」をSNSやテレビを眺めることに使ったり、ペットとじゃれることに使ったり、それこそ何もしないでボーッとすることに使ったりします。

テレビやSNSを眺めていても脳はほぼ「無」で、生産的な何かをしているわけではないでしょう。(SNSをビジネスアカウントとして運用して投稿している人を除く)

ペットとじゃれる目的は心が癒されることで、積極的に何かを生み出す活動ではないはずです。

何もしないでボーッとすることは、当然ながら「無」で「非生産的」で、人によっては「無駄」「無意味」「もったいない時間の浪費」と見なされるでしょう。


でも、そうした無駄や無意味、非生産的な行動が、人間には必要なのです。

で、何も生み出さない無の時間を過ごすために、退屈なことややりたくないことがちょうどいい言い訳になります。


「今日はあの仕事でクタクタだから休もう」とか「やりたくないけどやらなきゃいけない家事を全部片づけたからテレビ見よう」「今日はだるい用事を終わらせたから食べたいだけお菓子を食べよう」とか。

気が向かないことによって心身が疲弊したのも当然あるでしょうが、人間はやっぱり無駄なことをしたくて、何もしない時間がやっぱり必要なので、それを堂々とやる言い訳があると安心します。



私は「うまくいかないことがあったら占いのせいにする」がアリだと考える占い師ですが、その感覚に似ているかもしれません。


ダラダラすることや時間の浪費には後ろめたさを感じる人が多いはずで(誰に指摘されるわけでもないのに)、堂々をそれをやる理由があれば心と体はうまい具合にゆるむんです。

心身をゆるませることは人間が人間であるために必要で、後ろめたさなくダラダラするためには、「やりたくないこと」「たいくつなこと」はあった方がいい。ネガティブなものがあるからこそバランスが取れるので、すべて排除しなくていいんです。


今日もやりたくないことに向き合い、退屈なことをこなしているかもしれないけれど、それは自分をギリギリまで追い込むことなく、ちょうど良いバランスを保つ大切なものです。

「こんなことやりたくない」「だるい」「うざい」「やりたくない」と愚痴を言いながらも、とりあえずはやっておくと、あとでホッとするはずです。


沙木貴咲

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