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Diary|すこしずつ秋へと

すこしだけ暑さが和らいだ気がする。

夕刻、仕事が終わって、見上げた空に満ちていく最中のぼんやりとした丸い月が浮かんでいた。
クリーム色。ほわほわとした薄い雲に隠れそうになっている。
空はまだ暗くなくて、だけどすこしずつ明度を落としていて、水色ではない、青色でもない、勿忘草みたいなきれいな色だった。

季節が移ろっているのを感じる。

秋、なんてきっと、すぐにやって来るのだろうな。

すこし胸がキュッとなる。

マンションの部屋のドアを開けて、いつもよりはすこし暑さがマシなのを感じて、窓を開けて風を通す。
涼しいとまではいかないけれど、このあいだまでのような温風ではなくて、そのことにすこし喜びを感じる。

冷蔵庫のなかの、使いかけのもやし(タッパーに入れて水に浸してある)を取り出し、ざるにあげて洗う。
豚肉にさっと下味をつけておき、もやしをごま油で炒める。
豚肉も加えて炒め、レンジでチンした冷凍ご飯の上に適当にのせて、ブラックペッパーをかけて、もやし丼の出来上がり。

ゴールドキウイを輪切りにして、小皿にのせる。

簡単に夕ご飯。好きなアイドルのYouTubeを見ながら食べた。


食器洗いをするとき、radioのタイムフリーで、久しぶりに聴くラジオを流した。
「たなかみさきのミッドナイトチャイム」
一時期よく聴いていたなぁ。あれはまだ実家に住んでいたとき。寝る前に聴きながらよく寝落ちした。そんな時期の空気を思い出す。

あれもたぶん秋だった気がする。

空気が涼しく、やや乾燥して、季節が変わったってことを肌で実感するときの、なぜか感じる切なさに胸が痛んだ。

ラジオの中で、宇多田ヒカルの「プレイボール」がかかり、密かに興奮した。

選曲テーマは、夏祭り、だった。

宇多田ヒカルのプレイボールは、たしかに夏、それも、暮れかかりの夏。
『全力尽くしてもダメだったらそれもまた風流』とか、どこかふと力の抜けた熱さ、暗いのに熱い曲調も歌詞も何もかもが好きで、でも、この曲が好きなわたしのことを、わたしは忘れていた。久しぶりに思い出した。

そしてやっぱり、季節が一周すると切なさを感じ始める自分に気づいて、変わってないな、と思う。


2024年は、大荒れだ。
想像もしていなかったことが次々と起こって、なんだかわからないような、そんな最中にいる。

それが良いことだったのか悪いことだったのか、ジャッジするのはやめた。
良いこともあったし悪いこともあった。
でも、良いことや悪いことはすぐにひっくり返る。
自分の心の持ちようや状況、時間によって。

でもわたしの核は、きっと変わらない。

好きだったものを思い出すとき、そう思う。

好きなものだけじゃない。切なさや苦しさを思い出すたび、思う。


人は心に一匹の獣を宿している。それは強さだろうか、それとも弱さだろうか。もしかしたらそれは、やさしさなのかもしれないし、あるいは孤独なのかもしれない。

好きな歌手、黒木渚の、ライブでの言葉。
すごく大好き。
わたしのなかにある獣の正体は、強さでもあるし、弱さでもあるし、やさしさでもあるし、孤独でもあると思う。


季節が変わると、過ぎ去ったことをよく思い出す。
そのなかに、もう一緒にはいられない人だっている。

移ろう先の季節を一緒に過ごしたいと思う人がいること。
それは、何か大きなイベントを、一緒に過ごしたい、ということじゃなく。

「ちょっと寒くなったね」とかそんな言葉を、ただあなたと言い合いたい。
半袖を着ていたあなたが長袖を着るようになるのを見たい。

そんなことが、わたしにとっては、たぶん愛かもしれないと思う。

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