近くと遠くのこと、喫茶店にて
これを書いている今、喫茶店にいます。
家からは遠いところにある、昔ながらの、音楽が似合うレトロな喫茶。ここに来るのは初めて。
最近は近くと遠くのことについてよく考える。
というとちょっと抽象的だけど、近くにいる自分と、遠くを目指すことについて。
私は11月に一人旅を予定しています。
今年の5月に人生初の一人旅を終えたところだけど、そのときに、楽しさというよりは今後生きていく上でのささやかな、でも重大な発見をしてしまって、そのことについてよく考える。
5月の一人旅では、結局どこへ行っても私は私だということを知った。
それは悪いことではなくて、きっと一人旅をしなければ実感できなかったことだと思う。
というのも、私は一人旅をすれば会社や家族のなかでの自分よりはもっと自由に、自分らしく、のびのびと過ごせると思っていました。
でも、実際に一人旅をしてみたら、誰も私のことを知らない街にいるからといって、普段行なっている以上の行動はできなかった。
たとえば、すごく社交的になるとか、人の目なんて一切気にならなくなるとか。
そういうことを望んでいたけど、そんなことはなかった。
知らない土地へ行けばもっと明るく振る舞えるのではないか。知らない街では何もかもが爽快に思えるのではないか。誰も何も気にせずにいられるのではないか。
そんな期待に反して、一人でご飯を食べるときは周りの目が気になったし、店員さんと接するときは相変わらず緊張したし、もちろん知らない場所への新鮮さはあったけれど、私自身に対する新鮮さはなかった。
私は私のままでした。知らない街で、たった一人で。
だから、これからの人生、たぶん私はどんなところへ行こうとも、普段どおりの私を抱えて過ごしていかなきゃならないんだなぁと思う。
そういうことを、しっかりと見つめる覚悟をする、きっかけになったような旅でした。
たぶん、どこへ行っても人の目は気になるし、人と話すのは怖い。
でも、それをわからずして遠くへ出かけて行ったって、私は大事なことは何も得られない。
近くがわからなければ遠くへ行く意味はないなぁと思うのです。
だから最近、現実逃避的に空想をしたり、遠い将来の夢のことを考えそうになるたび、「待てよ、私の近くはどこなんだ」ということを意識するようにしている。
私は昔から、勝手に未来に先回りをして、勝手に怖気づいて、現在さえまともに歩けなくなる、というようなことをけっこう繰り返してきました。
そのくせ夢みがちな性格なもので、どうしても先のことを考えずにはいられない。
でも、大事なのは今、今だよなぁと思う。
今お腹が空いているか、いないか。
空いているなら何が食べたいか。
私の手元には何があるか。
少し前を見ると何が見えるか。
少し上を見たら。下を見たら。
そういうことを大事にしたくて、11月の旅では、あまり計画を立てず、そのとき行きたい場所へ行き、そのとき食べたいものを食べる。そんな旅にできたらなぁと思っています。
そして近くを抱えて遠くを見る練習を、少しずつしていきたい。
そんなことを思って来たことのない喫茶店に入ってみたりした今日の私であります。
お昼ご飯にチキン南蛮定食を頼みました。食後にコーヒーをつけて、それを飲みながら今これを書いている。
そんなことの繰り返しでちょっとずつ、明るく開けていく自分を思い描いています。
ちょっとずつ、今を大切に。
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