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君に、愛対



拝啓、るぅとくん へ。
25歳のお誕生日おめでとう。


……なんて、堅苦しく始めることも考えたけれど、今日は君にとって本当に大切で特別で、幸せの溢れる日。
数ヶ月前からソワソワして、どうやってお祝いしようか、あれも違うこれも違うって好きな人のために悩みに悩んで。

去年みたいにケーキを作ってみようかな?
それともまた別のことをしてみる?

どうやったら私の想いが最大限に伝わるのか、思案を重ねた結果、私には文字しかないと思った。
いちばん私が私らしく君に届けられる手段はきっとこれしかないと、今はそう思う。

だから肩肘張らず、私の等身大の想いを私の言葉で伝えていくよ。

ここに辿り着いてくれた君も、足を崩して。
ゆっくりしていくと良いぞ。なんてね。

色々なことがあった24歳の1年、その1年分の有り余る想い、そして今まで秘めてきた想いも。
特別な日に大切な君へ、捧げるから。
どうか、最後まで目を離さないでね。


 靴の跡


るぅとくんは、24歳の君がどんな1年を過ごしてきたと感じているのだろう。

一言で表すのなら「前進」だと私は思う。
拍子抜けしてしまうくらいありふれた言葉。これ以上なくよく見る言葉だけれど、24歳を生き抜いた君にとっては本当に大切な一言だと、私は思うよ。

「ターニングポイント」と語っていた2022年夏を乗り越えて24歳のスタート。

「すとぷり史上初」という枕詞、いい意味で見飽きてしまうくらいには目にしたよ。

君の音楽が 想いがたくさん詰まった4thフルアルバムに、共に駆け抜けた最多公演数のアリーナツアー、そして一緒に作りあげた冠番組。
去年の夏に発表された、2023年の根幹となったものすべて24歳の君が紡いでくれた。

そう思うとすごく感慨深い。前半だけでもこんなに濃かったのに、今年の夏にはいちごマイクラや原宿ジャックにEPの発売。
るぅとくん個人だとオリジナル曲や歌ってみたの投稿に短編楽曲まで。


盛りだくさんで、こうして大雑把に書き出すだけでも24歳のるぅとくんの活動量の多さにただただ圧倒されるしかない。
こんな瞬間にもね、君でよかったって心から思うよ。

ずっと前を見続けてくれて、進み続けてくれてありがとう。
こんなまとめ方をするのは本当に勿体なく申し訳ないと感じるくらいだけれど、あまり時間を取らせるわけにもいかないから、駆け足で君の足跡を辿らせてもらった。

365日前からのことなんて記憶に新しくて今更必要ないかもしれないが、いつか見返した時に「こんなこともあったね」なんて笑い合えるように。



 君に


かなりおおまかだけれど24歳のるぅとくんを振り返ったところで、ここからは、どうしても君に伝えたいことを伝えていくことにする。

まず、タイトルにある「愛対」。
君はこれを目にしてどう思ったのだろう。
きっと色々な受け取り方があると思う。

読み方を変えて。
音だけ取って。
漢字から。

どれも正しくて、どれも君への想いに他ならないのだけれど、もう一つ。
もう一つ、その一つをこの文章を通して、どうしても君に伝えたいんだ。
きっと答えを出すから。この物語の区切りまで、もう少しだけ付き合って。



 今日の日のフィルム


話は移り、私が君と、君への想いと相対している今。
今、この文章を君へ届けようとしている瞬間はふぁんみが終わって間もない頃。

逢いたい想いをコトコトと煮詰めながら向き合っているよ。
あえてさっきふぁんみのことを書かなかったのは、ここで伝えたかったからなのです。

ふぁんみで届けてくれた「Good day」。

選択肢にあるとわかった途端、全身が君の音楽を求めるように沸き立ったのを覚えてる。

ステージ上に届くわけでもないのに、「Good dayがいいな」なんて言ってくれた莉犬さんを肯定するように強く頷いて。
そこからの記憶が薄いのは、それほどライブという特別な空間で「Good day」を受け取りたいという想いが強かったからだと思うの。

黄色一色で会場は彩られ、その淡くも力強い光を一身に受けてステージに立つ君。
少しひんやりとした空気も、会場特有のにおいも、そしてなにより大切な曲をステージ上で紡ぐ君も。
ああ、この瞬間のために生まれてきたのかな なんて思えてしまうほどに深く強く、私の心に「Good day」は そして君の想いは突き刺さった。

痛みに似ているとさえ思えるそれを感じ、私の感情は完全に行き場を失っていた。ずっとこの時間に浸っていたい。声を大にして想いの丈をぶちまけたい。今すぐ抱きしめたい。
そんな想いを抱きながら、それが発露するように、万感の思いにただ肩を震わせて涙を流していた。

愛おしそうに会場を見渡すその目線も零れた「愛してる」も、まるで実体を持っているかのようにあたたかくて。
お互いの『大切』を確かめ逢えた、本当に大事な時間だったな。
2日目の公演を終え深夜、疲れもある中急遽「Good day」の音や尺の調節、準備をしてくれたことも、翌日早めのリハーサルをしてくれたということも、そういうエピソードも含めて、思い出すたびに泣きたくなるくらい大切すぎる想い出。

これはたしかに『過去』であり、『想い出』の一部だ。
でも、あの日「Good day」を受け取れたからこそ今のこの愛おしさが、確かに私の中に在る。
熱を持って、これでもかというほどに存在を主張しながら根付いている。

過去、すなわち『想い出』でありながら、君を愛する理由の1つでもある。
きっとふとした瞬間にあの日のことを思い出すと思う。いや、もう既に日常の中で思い出している。

そうやって、あの日焼き付けたフィルムに光を当てて『今』の時間の中で再生して。
これは、今という時間の中で『想い出』と呼ぶものはまだ生きていると言えるんじゃないかな。

今という時間そのものに、濃く君を感じている。
全部が重なった今という時間そのもの、君そのものが愛おしい。

そんなことに気付かされた「Good day」と一連の流れでした。



愛対


るぅとくん。突然だけれど、1年前のことを覚えていますか?

覚えていないかな。君が「どのくらい好き?」と聞いてくれたのは、1年も前なんだよ。
同時に、君なりの答えを伝えてくれたのも。

そして、つい最近「どこが好き?」とも聞いてくれたよね。

似ているようで全く違う、でも君の愛をすごく感じた質問に対する答えを、どうしても君に伝えたくて。
時間がかかってしまったけれど、私なりの答え 大切な今日に今ここで、伝えさせて。



「どのくらい好き?」


あの時、私はなんて答えたっけ。鮮明に思い出すのは難しいくらい、この1年で色んな感情を君へ抱いたと思う。

君は「リアルに生きる意味」と伝えてくれたよね。
当時は、その想いが純粋に嬉しかった。私だって同じような想いを抱いていたから、同じ気持ちなんだって幸せだった。

もちろん今もその思いは変わらないけれど、1年経って「生きる意味」という君の想いに再び触れると、去年は感じなかった重さに気づく。

あの時から365日一緒に生きて日々を重ねた分だけ、さらに重みを増して いい意味で愛がのしかかってくるように感じるよ。

「どのくらい好き?」と聞かれると、咄嗟に出てくるのは世界一好き、みたいなふんわりとした答えだと思う。
それも悪くはないけれど、今回このような形で届けるからには長考に長考を重ねようと思って。

一言で表すのは難しくて、なにかわかりやすいたとえがないかなぁと思った時、君がお話していたことを思い出した。
私の思考と君の言葉を繋げて、点と点が線になるように想いが形を持って。


「どのくらい好き?」


一言ではないけれど、たとえば。
どこかへお出かけした帰り道。重い荷物を持って、もう足を前に踏み出すのもしんどいくらい疲労を感じていて。
ゴールが遠く感じる。今すぐこの歩みを止めたい。
そんな思考で満たされ、自分のことでいっぱいいっぱいになってしまう。そんな時に どんなに重くたって、その分君が傍にいてくれるのなら、傍にいられるのなら 君の荷物まで持ちたい。
と、そう思った。

傍で寄り添えるのなら荷物くらいいくらでも持つよ。
どんなに重くても、私に余裕がなくても、ただひとり 他でもない君には寄り添っていたい。私の向けられるもの全部向けたい。そのくらい、好き。



「どこが好き?」


この問いは、君以外に投げかけられることも稀にある。
「るぅとくんのどこが好きなの?」と。そのたび答えに迷いながら、なんとか絞り出してきた。

咄嗟に出てくるとしたら「全部」だろうか。それも悪くはない。間違いではないし。
悪くはないけれど、玉虫色の回答よりも、もっとしっかりとした答えを出したくて。


常に前を見続けてくれているところ。優しく寄り添ってくれるところ。感謝を言葉にして伝えてくれるところ。当たり前にある日常を当たり前と思わず大切にしてくれるところ。努力を欠かさないでいてくれるところ。しっかりと周りを見て周りの人をさりげなく気遣うところ。誰かのために死力を尽くして頑張れるところ。本当の意味で優しいところ。もったいないくらい謙虚なところ。想いを形にして届けてくれるところ。日々を優しく甘やかに色付けてくれるところ。甘えてくれるところ。甘えさせてくれるところ。たまに恥ずかしがるところ。ただひたすらに真っ直ぐに生きてくれているところ。なんでも出来そうで実際なんでも出来て、でもたまに抜けているところ。時折見せる年齢相応かもしくはそれ以下のように感じさせるかわいさ。努力を惜しまないかっこよさ。届けるものに対して一切の妥協を許さないところ。何度だって約束を交わしてくれるところ。同じ気持ちでいてくれるところ。同じ時間を一緒に過ごしてくれるところ。心の距離は近くそばに感じさせてくれるところ。言葉一つ受け取るたびに幸せが溢れる優しくあたたかい声。時に寄り添って、時に背中を押してくれる音楽。その歌声。特別をくれるところ。確かめ逢ってくれるところ。物事を深く深くまで考えるところ。それゆえ悩みがちなところもあるのだろうけれど、そんな君だから好きだ。きっと君が欠点だと自分で思っているところも、私の目には魅力的に映るよ。


あまりに重くなってしまうからこの辺りにしておくけれど、ここまで書き出してみて、やっぱり一言で表すのは難しいなと思った。

根拠もなく「全部好き」と言うのは簡単だけれど、好きなところを枚挙すればするほどやっぱり「全部好き」だと思えてくる。

きっとこの中にある、そしてまだ言葉にできていない好きなところの1つでも欠けたらこんなに好きになることはなかった。
パズルのピースみたいに、ひとつひとつが君への好きを構築している。

そして、まだ知らない、見えない君の一面もあるかもしれない。
そんな部分ですら、知ったとしてもきっと好きなんだろうな。あまり無責任なことは言えないけれど、そう思える。きっと好きって、信じられる。

過ごしてきた時間、交わした言葉、一緒の想い出、ひとつひとつの好き。
これらがあるから これから新たに知るであろうところも見えないところも、きっと好きって 全部好きって、信じていられるよ。


「どこが好き?」


好きだって信じさせてくれるところが、好き。





書いていて強く思ったけれど、「どのくらい好き?」とか「どこが好き?」とか、よほど好きじゃないと聞かないよね。
君からの問いにもすごく愛を感じた。

君の愛に対する私の答え、受け取ってくれてありがとう。


真、愛


改めて、お誕生日おめでとう。


20代も折り返し地点。20代というワードを使うたびに、「30代になったらGood dayの歌詞を『三十何年続いた』にして歌うから」という君の何気ない一言を思い出す。

その記憶の一欠片を拾うたびに、そうして何気なく何年も先の未来をごくありふれた景色のように見続けてくれていること、君のふとした言葉を覚えていること自体、全部が愛おしくなるよ。

君の、るぅとくんの人生の続編、絶えず一緒にいたい。
一緒じゃなきゃ嫌だ。傍で寄り添っているよ。


25歳の1年が、君にとって幸せなことがたくさんあるものになるといいな。それを切に願ってる。
その幸せの一部で在れるよう、私も届けていくから。
今までもあったし、これから先もきっと、幸せばかりではない色々なことだってあると思う。何に苦しんでいるのか私には分からない瞬間だって訪れるかもしれない。
そんなとき、君の背中に静かに寄り添っていたい。君の荷物まで持つよ。
フィルムに当てる明かりが消えてしまわぬように、守り続けたい。

永遠なんてわからないけれど、明日を大切に一緒に生きていくことはできるから。そうやって一歩一歩、一日一日を重ねていって 一緒に永く笑顔を作っていこう。

大切な場所で特別な君が咲かせる笑顔を見ていたいし、その理由で在れたらと思うよ。

育んだ愛で溢れる1年となりますように。そして、君の作ったものがより多くの人に届く機会がたくさんありますように。
大好きな人の大好きな音楽がもっと私に、世界に響く25歳の1年でありますように。

生きる意味であってくれて、今年も心からお祝いしたいと思わせてくれて、ありがとう。

るぅとくんが形にして届けてくれるもの全部が愛おしい。その全部を受け取らせてね、こぼさずきっと深く深くまで掬うよ。
日々積み重ねてくれていること、ちゃんと見ているし知っているから。


まだまだ伝えたいことはたくさんあるけれど、いよいよとりとめなくなってしまうのでこの辺りで。


君とのストーリーを、君の人生の続編を、これからも長く永く 一緒に紡いでいけますように。
傍にいるって、寄り添うって、好きでいるって 誓うよ。約束。

ここまで付き合ってくれてありがとう。
君を、るぅとくんを愛してる。









蛇足かもしれないけれど。

「ありのままの、そのままの君でいい」という言葉を掛けられると、前に進もうとしている、変わろうとしている自分の気持ちに蓋をされているみたいで嫌だ、という記事を先日見たの。
そういう受け取り方もあるのか、と心臓をきゅっと掴まれたような感覚に陥った。

私は心から「ありのままの君がいい、好き」と思うし伝えるけれど、たしかに、もしかしたら、君も心身の状態によっては前述のように感じてしまうときがあるかもしれない。

「ありのまま」ではない君は好きじゃないみたいに捉えられないかな。「ありのまま」でいることの強制はきっと息苦しい。

そんなことを考えはじめるとなかなか「ありのままの君が好き」と伝えられなくて。
考えすぎて伝えられないことがままある。難儀だなと自分でも思う。君が言葉に悩んでいるところを見て同じだなと思えるところだけはよかったけれど。

でも、ありのままの君も、君の言葉を借りるのなら「守りに入ってしまう」君も、それがるぅとくんであるのなら好きだと言える。深くまで考えて、そんな結論に達した。
ありのまま、感じ取っているよ。ありのままなのかありのままに何かを重ねるのか、君が選択したことなら尊重したい。

ハナミライでいうところの「強くなった君も 変わらず守りたい僕の大切だ」かな。ハナミライを聴くと胸がきゅっとなるのはこういう要素があるからなのかも。
君の芯のある強さも、たまに零してくれる弱さだと思っているところも、全部。
君の思う弱さは優しさという側面もあるように見えるけれど。

君の見せてくれるるぅとくんの一つ一つに惹かれてる。

るぅとくんのお誕生日だから最大限届けたいと思ったけれど、きっと君から受け取れるものも大きいんだろうな。感謝で溢れてしまう未来が見える。
生まれてきてくれて、その人生を一緒に生きてくれて、本当にありがとう。

ありのまま甘えてくれる君も、強く在ろうとする君も、るぅとくんが、君そのものが好きです。
芯の部分、根っこのところから愛してる。


そして実は……るぅとくんだけに届けたい想いをしたためたものも用意しているから、ここからは飛べないんだけれど よかったらぜひ受け取ってほしい。
君だけね。
 
君の人生の続編も一緒にいさせてください。お誕生日おめでとう。

親愛なるるぅとくんへ、ずっと、ずっと信愛を 深愛を以て。



2023.10.25
さき

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