【一生を変えるチャンスをつかむ方法】インドネシア語の現役お産通訳、バースドゥーラの私が、インドネシアと出会った時のお話
「なんでインドネシア語なの?(英語じゃなくて)」のよくある質問に今日はお答えしますw
びっくりするほどしょうもないですので、覚悟してお読みください♩
でも、おかげで今があるな~と、想っています。人生、何があるかわからない。
それは、2006年のこと。
私は東京での大学生活が始まりました。住まいは、実家を離れて学生寮に住んでいました。
インドネシアというか、海外へ行ってみたい!
というのが正直なところで、派遣が決まって、初めてちゃんと位置を確認したという。。。
へえバリって国じゃなかったんだ。。。
(お恥ずかしい。。。ですが、そういうかた結構いませんか?w)
なぜ海外研修へ行きたかったのか
学生寮には、春だというのに真っ黒に日焼けした肌の先輩がいる。。
サーファーかな。。。
彼らはアフリカのウガンダでの1年間の海外研修を終えて、帰ってきた人たちでした。
そしてその先輩たちとお話しするうち、
「ずっと日本にいる人たちにはない視点を持っているぞ、この人たちは」
と、私なりに先輩たちの特徴を感じ取り、
何とも言えない、、、溢れる自信や、エネルギー、想い。
私も、広い視野で世界をみれるようになりたい。
そう思うようになりました。
「とにかく、海外へ行きたいー!」
という思いから海外研修制度へ応募。
無事に、インドネシアへ派遣地が決まりました。
インドネシアにした理由は、
勧められたから!(爆)
「森本にぴったりだと思う」と、信頼していたスタッフが進めてくれたのは、
インドネシア 東ジャワ州 スラバヤにある
大学の日本語学科での日本語教師補助
その研修制度の派遣国の中で、その当時、最も新しくできた派遣地で、
その地域での研修は第一期生になる、とのこと。
先輩がいない地域でした。
なぜか、
「第一期生とは、重責ではないか!というか、それを任せてくれるなんて嬉しい~♩しかも、それってパイオニアだな・・・!」
お調子者、甚だしい。。。w
こんな感じで、なんだか
「インドネシアに呼ばれた」
ように、インドネシアでの研修が始まるのでした。
きっかけは、本当に些細な事だったり、
きっと団体の都合でインドネシアを勧められただけのかもしれないけど
(インドネシアの前例のない新しい派遣地域なんて希望者だれもいなかったからね・・・!)
そのたまたま巡ってきた
「ご縁」と「チャンス」
のおかげで、
今の活動ができていることに本当に感謝しています。
なぜ、そのご縁とチャンスを手にできたか?
それはきっと、私が能天気であることもですが、
インドネシアでの生活を想像したときに、なんだかわからないけど、
「わくわく」したから。
カンです。w
わああああ、楽しそう!という気持ちがわいてきた。
それはきっと、
わあああ、最高!って湧いてくる心地を
要所要所で、子供のころから感じてきた記憶が細胞レベルにあったんだと思うのです。
これだああああ!という、
あれ、どうなるかな、こわいな
と考えてしまっても
心が暴走して止まらないワクワク。
子どもが滑り台をみて楽しそうー!と思って走り出すあの感覚。
これに気付いて大切にできるかどうかなのだと思います。
チャンスが来たとき、怖いなとおもってブレーキかかる人は。。。
心の本音のところに耳を傾けて、
自分の中に湧いてくるワクワクの泉があれば、
その泉の水をすこし、見つめてみて
泉にはきっとあなたのお顔が映っていて。
どんな気持ちになるか。
この泉を大きくしたいか、それとも枯らしてしまうのか。。
この泉をなかったことにするのは、とても残念だと思います。
もしかすると、あなたにとって、
とっても大切なオアシスかもしれないですからね♩
読んでくださってありがとうございます!
私はこんな人です♩
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