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人には政治を変える力がある、と思えること。

11月中旬、オランダ各地で高等教育の予算削減に反対するプロテストが行われた。

政府が提案した高等教育と研究に対する20億ユーロ以上の削減案は、オランダのアカデミアに大きな懸念を与えた。

大きな影響があるかと言われたら「まだ、ない」というのが実際のところ。
でも大学では教授が授業中にこの削減案がいかにナンセンスかを語り、そもそも開講されない授業があったり、少しずつ影響は出ているような気がする。

私が通う大学でもプロテスト(抗議行動のこと。正確な定義はわからないが、日本のデモと近いと思う)が行われた。クラスメイトがみんなで行こうと誘ってくれて、せっかくなら行ってみよう、と私も参加してきた。

みんなで掛け声をあげるために配布された。

街の中心地に数百人が集まり、掛け声をあげ、教授や学生代表のスピーチが行われた。それは盛り上がっていた。

印象的だったのは、スピーチ中に聴衆の中でも意見の不一致が見えたこと。頷きながら聞く人もいれば、納得できない表情で聞く人もいた。オランダ人は物事をはっきり言うと言われることがあるが、賛否が完全に一致しない様子がはっきり見てとれるのが、それを表しているように思えた。

プロテストの様子

政治に声を届ける、ということ。

プロテストの間、友人と日本の話になった。

「日本ではプロテストはあるの?」と聞かれたので、「あるけど、気軽に参加する人は少ないんじゃないかな」と答えた。すると友達の一人が私にこう聞いてきた。

「じゃあプロテストがなければ、どうやって政治に声を届けるの?」

この質問に私ははっきりと答えられなかった。とりあえず、「選挙」と答えたが、すぐに「投票率もすごく低くてね。」とつけたした。

自分の声を政治に届けるということを、私はこれまであまり意識してこなかったと思う。選挙には欠かさず行ってきたし、署名活動にも参加する。それでも、「自分の声は政治に影響を与える重要なもの」という実感は、あまりない。

「選挙に行く」という行為は私にとってどこか形式的で、義務的なもの。
政治に声を届ける、という能動的な行為とは、かけ離れたものに感じる。

オランダの大学院に来てから印象的だったのは、クラスメイトたちが「政治に自分の声を届ける」ということを意味のあることとして捉えているように感じたことだった。

私は政治・経済の哲学を学ぶコースに通っていて、政治や政策はどうあるべきか、ということを日々考えている。授業中も議論が白熱することは日常茶飯事だが、「政策に賛同しないなら、選挙で投票したらいいじゃないか」という意見が真面目に、それも繰り返し出ることが印象的だった。投票行為は自分の意見を反映する方法であり、それは政治に影響をもたらすものだと感じているように思えた。

政治に対して自分は影響をもたらすことができると感じられることは、Political efficacy(ポリティカル・エフィカシー)と呼ばれる。

“(S)ence of political efficacy .... (is) the feeling that individual political action does have, or can have, an impact upon the political processes" 

Internal efficacy "indicates individuals’ self-perceptions that they are capable of understanding politics and competent enough to participate in political acts such as voting." 
External efficacy "measures expressed beliefs about political institutions rather than perceptions about one's own abilities .... The lack of external efficacy .... indicates the belief that the public cannot influence political outcomes because government leaders and institutions are unresponsive to their needs."

Craig, S. C., & Maggiotto, M. A. (1982). Measuring Political Efficacy. Political Methodology, 8(3), 85–109.

つまり、ポリティカル・エフィカシーとは、個人の政治的行為が政治に影響をもたらせると感じることだ。自身に目を向けるとき、それは「自分は政治に参加するのに十分な理解がある」と感じることであり、外部に目を向ければ「人々の行動が政治を変え得る」と思えることでもある。

人々の行動は政治を変える力を持っている。それには同意する。
でもそれを自分の生活の中で実感できたことはどれほどあっただろうか。

プロテストに参加して、身近な問題に異議を唱える友人たちは、自分の生きる社会の変化を知り、それに対して意見を表し、伝えるための行動をとっていた。

それは、義務感に駆られてただ選挙に行くという私の形式的な行為よりも、より中身の伴った、自分の生活する環境をより良いものにするための責任のある行動に感じた。社会の一部として生きるということをより体現しているように見えて、とてもかっこよかった。「自分がいる社会について知り、考え、自分の声を政治に届ける」という行為の大切さを私に実感させてくれた。

社会にはいつだっていろんな問題がある。

自分の生活だけでも精一杯のときもあるし、社会のことを気にしなくても、幸せに生きていくことはできる。

でも、これからはもう少し視野を広げて、社会について考えるという意識を持とうと思った出来事だった。


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