消費社会の到来
ロンボク島で、日本で出稼ぎ労働者として働き、現在はバリ島に自分のホテルを経営したり、ジュエリーを作ったり、様々な自分の事業をやって大成功したロンボクバリ人に会った。
日本語がとても上手で、東京の土地勘もあり、穴場なレストランなどを知っている。
彼は今となってはロンボク島の中でも指折りのお金持ちで、私をシェラトンホテルのビーチに連れていってくれたり、ショッピングモールで色んなものを買い与えてくれた。
シェラトンホテルに入ればスタッフみんなが彼を知っていてVIPな対応をしている。薄汚れたTシャツと短パン、ビーサンでリゾートホテルに入ることはもうないことを祈りたい…笑
どうやら、彼の姪っ子さんと私が同じ歳くらいみたいでかなり可愛がってもらった。
そんな彼が漏らした日本に対する不満と、彼のロンボク島での過ごし方に日本の消費社会の終わりインドネシアでの消費社会の始まりを感じた。
バブル時代を日本で過ごした彼は、日本人が消費行動を楽しんでいる様子を見てきた。
「若者たちの夢はでっかくて、みんなたくさんお金を稼いで、たくさん消費して欲しいものを手に入れる。こうやって経済がまわっていたんだ。
なおいさんは、今欲しいものある?将来何したいの?」
物欲のない私は、「特に欲しいものはないですね。将来ね、将来はのんびり暮らしたい…笑」
すると彼は、「そんなんだからダメなんだよ日本は。日本は本当に面白くない国になっちゃった。昔はね、みんなでっかい夢を持っていた。みんなお金持ちになって欲しいものをたくさん買おうとしていた。それが、今となってはみんな安定ばかり求めて、欲しいものもなにもない。」と勢いよく話してくれた。
それは事実だと思う。彼はきっと日本にはもう活気がなくなってしまったと言いたいのだろう。もしかしたらバブル時代に野望を語る日本人に憧れていたのかもしれない。
今の日本にはものが溢れている。もう欲しいものなんてないくらい、人びとはものを消費してきた。今日本に必要なのはものを消費することではなくて、どうやって自分の人生を豊かにするのかとか、どうやったら幸せになれるのかとか、もっと本質的で根本的なことだと思う。
ショッピングモールでの彼の買い物の仕方を見ていると私が経験したことのないバブル時代の日本ってこんな感じだったのかな?って思う。
お店に入ってあらゆるものを手にとって、良いと思ったらすぐに購入する。消費することが豊かさの象徴で、快楽で、より多くのものを持っていることが幸せだと言う考え方。ものを買うことで自分の裕福を確かめているようにも見えた。
インドネシアは今、経済的にどんどんと成長していて、身の回りにある自然を活用して使っていた暮らしから、お金を介して新しいもの、先進的なものをたくさん手にする消費社会が到来している。
日本が通った道たどっている。
お金持ちとは言えども、コミュニティーの繋がりの強いロンボク島では彼もきっと村のコミュニティーに属していて、人との繋がりの豊かさを身近に感じられる環境を知っているのだと思う。
行き過ぎた消費社会の中で日本が求めもがいている本質的な幸せを、豊かさを彼はきっと知っている。
彼は私に、
「とにかくお金持ちになりなさい。お金持ちになってからやりたいことをやりなさい。人助けは自分のお金を十分稼いでからにしなさい。あなたのスキルをあなたがリッチになるために使いなさい。そうしたらいつか私みたいに、人助けができる余裕ができるくらいにお金持ちになれるから。ははは。」
と言った。
いい考えね。でも、私はそうしない。私はお金を稼ぐことを目的に働きたくないの。私はあなたがきっと知っているだろう素朴な幸せだけを求めているの。
って言いたいけど、伝わる気がしなかったから笑顔を見せて頷いた。