インダス川の源流でペットボトルのミネラルウォーター、牛がいる家でパック牛乳
ラダックの暮らしの中で皮肉な矛盾を見ることが多々あった。
インダス川の源流があるラダックでペットボトルに詰まったミネラルウォーター
牛を飼っている家のホームステイで出てくるパック牛乳…
デリーでラダックへの乗り換えの飛行機を待っていたときに飲んだ水のペットボトルに「ヒマラヤの水」と書かれていた。それを見て心の中でにやっとする。これからラダックに行けば、これを思う存分、無料で飲めると思ったのだ。
ラダックに到着し、のどが渇いたから水がほしいとラダック人の友人に言うと、彼はお店に行ってまた例の「ヒマラヤの水」と書かれたペットボトルを買ってきた。
え、ここ、ヒマラヤですけど…。
毎回買ってもらうのは悪いし、なによりペットボトルがゴミになる。
だから、「ポリタンクの中の水を飲んだらだめなの?」「川の水を飲んだらだめなの?」と聞くが、彼はダメダメ、きれいな水を飲んでねとペットボトルを渡してくれる。
なぜ、デリーで飲んだ「ヒマラヤの水」をヒマラヤ地域のラダックでも買って飲まなきゃいけないのか。その矛盾した現象に混乱した。
中心地レーの人口はますます増え、ホテルなどの建物が増えている。レストランやホテルから出る排水などが、下水処理のないラダックでは垂れ流しになっており、水の汚水に繋がってしまうのだろう。確かに、レーの水は飲み水には適していない状態なのかもしれない。
しかし、少し離れた村に行けば、村の共同の水くみ場があり、そこの水はきれいだから飲めるという。
少しレーから離れれば飲水があるのに、なぜお金をかけて水を買うのか。なぜペットボトルというゴミを出すのか。私には少し理解しづらいものだった。
結局私は、空いているペットボトルを数個集めて、村に行った時に水を補給し、それを持ち歩くようにしていた。
もう一つ、ラダックには皮肉な矛盾があった
それは、牛を飼っている人たちがたくさんいるのにも関わらず、ラダックの外から運ばれてきた牛乳パックがたくさんあることだ。
牛乳のみならず、バターやヨーグルト、チーズなどもパッケージされた商品を買っているのを目にする。
乳搾りをすれば牛乳は手に入るし、バターもヨーグルトもチーズも自分たちで作る方法をラダックの人々は知っている。
仮に牛を飼っていなかったり、飼っている牛がお乳を出してくれなくても、物々交換の習慣があるラダックの伝統的な社会では全く問題なかっただろう。
インドの他の地域に輸出している乳製品をラダックの人々は購入する。時には、自分たちの牛乳を売って、その収益で商品として売っている牛乳を買う人もいるらしい。
家に搾りたて牛乳があってもお客の私にはパック牛乳を使ったりするのを見て、なんで?と聞くと、パック牛乳のほうが「きれいだから。」と答える。
こうした矛盾した現象はラダックの価値観の混乱を表しているのかもしれない。
ラダックの人々の生活スタイルが変化し、外からのものを取り入れた生活をすることは否定できない。しかし、せめて自分たちの土地にあるものは自分たちで消費してほしいと私は願いたい。
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