生活の中の「生きとし生けるものが幸せでありますように」
標高が富士山並みのラダックにも場所によっては蚊がいる。
厳しい環境に生きる蚊だからか、刺されるとかなり痒いし大きく腫れる。
ラダック人の友人に蚊に刺されたことを話していた時、ちょうど彼のほっぺたに蚊がとまっていた。
日本で育った私は、蚊を見ると反射的に叩いて潰さないと!という発想になる。そして何も考えずにバチっと彼のほおを叩いて蚊を潰したら、彼が唖然とした顔で私を見つめる。
そして「チチチ」と舌を鳴らす。ラダックの人たちは悪いことに対して舌打ちを3回くらい繰り返すのだ。
頰を叩いたのがそんなに痛かったのかなと思っていたら、
彼は突然、私のほっぺたをつねりながら、「なぜ蚊を殺すんだ。」と本気の怖い顔で怒り出した。
「なぜ、どんな生き物でも命があることにリスペクトすることができないんだ。」と。
普段怒らない彼の怒った顔は結構怖かった。私は何も言えなかった。
次の日になって、私はまた「昨日はなんで蚊を殺したのか」と問いただされた。
日本では蚊を見たら潰す習慣があるから。と日本の習慣のせいにすると、
「さきは、弱いものを殺すのが楽しいの?手を叩けば死んでしまう儚い命を殺すのが。」
なんとも言えなかった。ただ蚊を叩いただけでこんなに怒られちゃうなんて。
そう言えば、お寺に行った時、水たまりに落ちたチョウチョが溺れて羽をバタバタさせていた。それを見た彼はとっさにそのチョウチョを水の中からすくい上げて、息を吹きかけながら羽を乾かしてあげていた。チョウチョがまた飛んだ様子を見て、彼は茶目っ気のある笑顔で「これで来世は良い人生になる」と満足げだった。
私はチベット仏教のことはよく知らないが、命が巡っているのを信じているのは彼らの言動や行動から感じ取れる。
「生きとし生けるものが幸せでありますように。」
この祈りは彼らの暮らしに染み込んでいる。
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