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いのちが身近にある暮らし

ロンボク島の村にいるとなぜか”いのち”が身近に感じる。

村自体が生きていて呼吸をしているように思えてくる。
村人の会話と笑い声がそこかしこに聞こえてきて、子どもたちは裸ん坊になって川に飛び込んで遊んでいる。

村を歩けばあいさつを自然に交わし、コーヒーを飲んで行かないかと聞かれる。

子どもたちが駆け回り、赤ちゃんを抱えたお母さんたちが立ち話しをし、青年たちががバイクに乗ってHi!と手を振っている。どの瞬間を切り取っても、生き生きとした村の姿が私の心を躍らせる。

鶏の卵が孵って雛が生まれ、川に行って魚を釣って夕飯にその命をいただく。同世代の若者は豚の出産を眠らずに夜通しで助け、飼っている鶏を絞めて食べる方法を知っている。

命の循環が見える生活。人も鳥も虫もみんな生まれては死んでゆく。
生き物として当たり前のことが当たり前にある環境。

幸せって実はすごくシンプルなことなんだ。

彼らの生活の中に入って過ごしていると心が豊かになっていくのが感じられる。

幸せって頑張ってお金を稼いで高級な時計を買うこととか、良い大学に入ることとか、そんな複雑で難しいことではない。
暑いと思ったら川に飛び込み、お腹が空けば木に登ってフルーツをとって食べ、寂しくなったら夜空の下で仲間と集まって歌って語り合えば良い。

私は、複雑で難しい「豊かさ」をたくさん知っているかもしれないけれど、彼らは単純でシンプルで純粋な幸せを知っている。

ある時、村の青年との会話で日本ではどんなものを食べるの?と聞かれて私は「イタリアンも中華もインド料理も日本食もなんでも食べるよ」と答えたら「どんな味なのか検討もつかないよ。僕は自分の畑から採れた野菜とフルーツの味しか知らないから」とジョークを言って笑っていた。

世界中の料理が食べられる日本に暮らす私はそれで幸せなのか?

たとえお金が無くなっても、電気が無くなっても、車が無くなってもなくならないシンプルな幸せを知っている。

それは彼らの強みだと思う。
そして、私はそんな彼らの素朴さがなんとも羨ましい気持ちになっていた。

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