ドンレドンレの文化
自分の家に友人が遊びに来るとなった時、私は掃除をしたり料理を作ったりバタバタと忙しく準備を始める。家が汚いことや狭いこと、アクセスが悪いことなど色んなことを気にするし、それを相手に伝えて自らを卑下することも多い。
しかし、ラダックで人の家を訪問した時にそうしたバタバタした雰囲気を全く感じない。
突然の訪問でも、どうぞどうぞと中に招き入れて、お茶を作り始める。お茶ができたらビスケットと一緒に持ってきて、「ドンレドンレ(どうぞ)」とすすめてくれる。そして、自分も一緒に座って飲みながらお話をはじめる。
お食事をいただく時も、泊まる時も、彼らの振る舞いは非常に自然なのだ。
日本のように「お粗末ものですが…」なんて言わないし、家が汚いとか、狭いとかを気にしている様子もまるで見られない。
いただくものは彼らが日常的に食べているもの、まさに、今晩家族が食べようとしているもの。寝させてもらう布団も彼らが普段使っているもの。お客さんのお部屋がある家もあるが、小さな家では同じ部屋で一緒に寝たりする。
こうした自然な振る舞いが心地よい。おもてなしがないわけでは決してなく、彼らの自然な振る舞いの中で私は自分の家にいるような気分になれる。
ラダックでホームステイしていると色んな訪問客がくる。ご近所さんや子どもの友達とお母さん、遠い親戚の人、みんな自然に座っておしゃべりを始める。時にはご近所さんがキッチンに立ってお茶を作り始めたりする。
お母さんが牛を小屋にいれようと家の外に出た時に、たまたま通りかかったご近所さんを強引に家に入れてお茶を「ドンレ」する。そして30分くらいおしゃべりして、夕飯をお母さんが進めるとご近所さんがいらないいらないと行って逃げるように帰っていく。
そんな日常の光景がとても素敵だなといつも思う。
ラダック人の友人は言う。「ラダック人はいつも何かを誰かにあげたい。何もなくても、それでも、何かをあげようとするんだよ。」
お腹がはち切れそうなのに、「ドンレ(どうぞ)」と言われてお皿に食べ物をよそられるのは、もはやトラウマだが、「ドンレ」はラダックの平和な人間関係が成り立たせている秘訣なのではないだろうか。
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