本当の生きる力
最近ラダックの人たちの主食がお米に代わり始めているのだが、お米を炊くときは圧力鍋を使う。標高が3000-5000mと非常に高い地域であるため、沸点が低くお米を普通の鍋で炊くことはできないのだ。
お米の準備をする時、日本では計量カップを使って必要な合数のお米を炊飯ジャーに入れ、それに対し必要な水をいれる。
そんな生活に慣れた私がラダックでお米の準備をしようとする時に、米の量や水の量を聞くといつも笑われる。そんなの適当だよって。
ケーキを作った時も、小麦粉や牛乳などすべての材料を目分量で測って作る。私が小麦粉何グラム?とか、砂糖スプーン何杯?とか質問をするとまた笑われる。答えはいつも、「だいたい必要なくらい」。
私はいつも、ものに頼らずに色んな物を作り出せる人を見るとかっこいいなと思う。
生きていく力があるというのは、自分の五感や知識、スキルを信頼して生きていくことができることだと思う。
いくらお金持ちでも、お金や道具なしでは生きていけない人たちは非常に脆弱である。
計量スプーンや秤は便利だが、それなしに料理ができないのは情けない。日本のスーパーに並ぶ商品を見ると、かなり細かいサービスが施されている。カット野菜やグラム毎に個包装になっているもの、レンチンやお湯を注ぐだけで食べられるもの。
こうしたものに囲まれた生活の中で、私は知らないうちに、自分の生きる力を色んなモノやサービスに吸い取られてしまっているのだろう。
ますます脆弱な自分になるのが怖く思えることがある。
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