文通ラジオ第2回目_秋とお祭り【あづ妙】
こんばんは。文通ラジオ第2回目。さきさんが少し体調を崩されているので、2回目もあづ妙がお届けすることになりました。ゆるやかなペースで、月1~2回程度更新していく予定なので、お付き合いいただけると嬉しいです。
第1回目に「選択と後悔」という記事を書いた際、コメントで同じような気持ちを感じている方がいることを知ることができて、少しホッとしました。コメントをいただけるのは本当にうれしいですね。ありがとうございます。
文通ラジオを始めると決めた際、さきさんと「毎回テーマを決めて言葉を紡いでいこう」と話していたのですが、パソコンの前に座っている2023年10月7日現在、特筆したいテーマが思い浮かんでいません。
「書きたいテーマが決まってから書くのも良いかな」と思ったのですが、今日は私の地元ではお祭りが行われていて、秋風が入ってくる部屋からは、微かにその音が聞こえています。さっきオータムブレンドの豆で珈琲を淹れて、熱々のコーヒーを持ったままパソコンの前に座ってみたのですが、「なんだか今、整ってるな」と思ったんです。秋特有の空気がちゃんと部屋で循環していることが感じられるこの場をとても心地よく感じています。
平日はどうしてもバタバタしていて、何気ない音とか、空気感をキャッチすることを諦めている状態なので、こうやって今、パソコンの前に座って「書きたいことは決まっていないけど、何か書きたい」という気持ちが高ぶっている瞬間は、自分にとって必要な時間なのかもしれません。だから、今日はこの感じで、お付き合いいただけると嬉しいです。
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お祭りっていいですよね。
「いいですよね」と言ってみたものの、私は小さなころから今日まで、あまりお祭りとは縁がない人生を歩んできました。
27年生きていますが、記憶をさかのぼってみても花火大会に行ったことはなく、屋台とか、出店とか、そういうものの記憶はどうしてもドラマとか漫画の世界で見たもので、イメージはできるけど、そこに自分がいる記憶はよく考えてみるとほぼありません。
ただ、こうやって今、部屋で微かに聞こえる音を感じていると、「秋が来たな」って思うんですよね。「この土日はお祭りだから駅近くの道路は封鎖されているだろうし、どこかに行くのはやめて、家でゆっくりしようかな」と思う、この瞬間も私にとって紛れもない「秋の訪れ」です。
私の人生にとって地元のお祭りとの距離は遠くても、この街で暮らしている限り、それは確かに存在していて、なんともいえない距離感が不思議だなと思うんです。
それに、私にとっては遠い距離にあるお祭りは、誰かの人生にとって身近なものであることを思うと、同じものなのに関わり方が違うだけで人生の方向は大きく変わるんだろうなと思うと、前回の続きみたいになってしまいますが、「自分で選ぶこと」ってすごく大事なんだなと痛感します。
私の地元のお祭りは秋なので、どうしても「祭り=秋」と思ってしまうのですが、私のなかでは「秋=祭り」にはならなくて、そのあべこべな感じが自分らしいなと感じました。
じゃあ、私にとっての秋ってなんだろうなと思うんですが、これまたすぐには答えが出なさそうですね。そもそも秋っていろんなものに結び付けられることが多くて、四季の中でもなんだか特別なもののような気がします。
「食欲の秋」「読書の秋」「スポーツの秋」
こうやって言葉で書いてみると、栗とか柿とか、食べたくなるものが増えるので、私にとっての秋は食欲の秋なのかなあと思ったのですが、そういえば私は秋になると旅行に行きたくなるので、「旅行の秋」なのかなあと思いました。
11月の中旬を「秋」と呼ぶのかは、住んでいる地域によって変動はありそうですが、私は大体毎年11月になるとどこかに行きたくなって、「11月は心地が良い秋だから」と捉えている節があるので、私にとって秋は出不精な自分の気持ちを少し変えてくれるようなものなのかもしれません。
ちなみに今年の秋は思い切って” 夏休み”を取ろうと決めました。11月の中旬に1週間ぐらいお仕事を休む予定なのですが、横浜、福井、金沢あたりに足を運ぶ予定です。来月は旅行記が書けたらいいな…と感じています。
みなさんにとって「秋」とはどういうものですか?
▶次回更新予定:10月末~11月上旬予定(投稿者未定)