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文通ラジオ第5回目_自分に合う場所【さき】
こんにちは。
文通ラジオ第5回目、今日はさきがお届けします。
まずは、令和6年能登半島地震によって被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
1日でも早く安全で安心できる日々が取り戻せるよう、今できることから少しずつ、手を取り合って、一日一日を積み重ねていきたいと願うばかりです。
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さて、前回は『自分に合う場所』というテーマで、あづ妙さんが記事を書いてくださいました。その中で、特に印象に残ったのは「東京という街に住んでるイメージが全くできなくて」という、あづ妙さんの"感覚"でした。
正直、ずっと分かっていたんです。自分が東京という街に住んでいるイメージが全くできなくて、誰よりも私が街の空気感に合わないことを知っていたはずなのに、「東京に行かなきゃいけない」「ここでしかできないことがきっとある」という理想や期待が、がむしゃらに自分の心を奮い立たせていたんだと思います。
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この記事を読んでくださっている皆さんは、自分の感覚を信じていますか?それとも自分の感覚はあまり信じていませんか?
わたしは、どちらかと言うと自分の感覚を信じる方です。もう少し具体的に説明すると、"疑ってから信じる"という言い方が近いかもしれません。
わたしは基本的に自分に自信がなく、ネガティブ思考に偏りがちな人間です。猜疑心も強く、自分だけでなく他人に対しても疑い深くなってしまいます。
特に10代後半〜20代前半は、自分の事も他人の事もなかなか信じられず、人間関係で苦悩しました。それは今も続いていますが、年齢を重ねるにつれて、徐々に人と関わる事で感じられる喜びや楽しみにも、目を向けられるようになってきました。
猜疑心が強いと言うのは、ある意味では、自分の事しか見えていない、そして自分の事しか信じていないとも言えるかもしれません。
自分の殻に籠り、外界は自分に害を与える危険な場所だと思い込み、自分の考えや感覚に固執してしまう。とても視野が狭くなっている状態です。
わたしのように、自分の事も他人の事もなかなか信じられないという人には共感いただけるかもしれませんが、誰の事も信じられないというのは、とても孤独です。
1人でも孤独。誰かと一緒に居ても孤独。笑っていても、泣いていても孤独。いつも不安で、足元はぬかるんでいて、一歩前に進むのに何分も何時間も時間がかかってしまう。
それって自分の事は信じているんじゃないの、と思う方もいるかもしれませんが、わたしのような人間は基本的に自分の存在に対してネガティブなので、"自分の事は信じられる"という自覚があるわけではありません。
視野が狭くなっていて、声をあげれば力になってくれる人は近くにいるのに、そのことに気が付けない。何となく気が付いてはいるけれど、経験がないから声をあげるのが怖い。殻に閉じ籠り、自分を守る事で精一杯な状態です。
人間にはそんな時期があってもよいと思うんです。そういう経験がある人は、その時期を乗り越えたときに、とても強くなれる。
弱いからだめで、強いからよいという事ではありません。考える力や生きる力が身に付くという言い方が近いでしょうか。
自分に対してとても疑い深いゆえに、殻に閉じ籠っているから他人の意見も素直に聞き入れられない。自分が納得しないと、前に進めないんです。
あづ妙さんもわたしも、基本的にとても慎重で孤独な人間なのだろうなと思います。これかな?これかな?といろいろ試してみたいんですね、きっと。
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あづ妙さんと知り合って、対話を重ねる中でわたしが常々思うのは「あづ妙さんは自分の感覚をとても大切にしている方なんだな」という事です。
わたしはあづ妙さんと知り合うまで、"自分の住みたい街"について、考えているフリをしていたように思います。
「住みたい」という気持ちよりも、安心できる場所が欲しくて、でもここじゃないんだよなと一人で焦って、自分が落ち着ける場所はどこにあるのだろうとモヤモヤする日々を送っていました。
誰かに安心できる場所を提供してもらえないだろうかと、無意識に他人任せにしていたのだと思います。
でも、昨年神奈川へ引っ越して、東京で仕事をしてみて「合わないんだな」という感覚がとてもよく分かりました。
わたしの場合は感覚よりも先に、身体に反応が出てしまったのですが、呼吸ができないような息苦しさを常に感じていたので、今思えば相当、自分の心と身体に負担をかけていたのだろうなと反省しています。
再び金沢に戻ってきて、あれだけ毎日続いていた息苦しさと胸のつかえが取れました。それは、わたしには都心での暮らしが「合わないんだな」と知る一つのきっかけになりました。
この先もずっと、金沢で暮らすかどうかは分かりません。でも、金沢に戻ってきた事を伝えたら「おかえり」と笑って迎えてくれる友人知人がいました。それがとてもありがたくて、単純に嬉しかったんです。
金沢という土地が、人間関係が、わたしにとって安心できる場所になってきている証拠でもあると思っています。
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さて、あづ妙さんから「自分に合う場所」の条件について質問がありました。
これには二つの側面があると思っています。一つは、自分では変えられない環境的な側面。もう一つは、自分自身で変えられる創造的な側面です。
環境的な側面でいうと、わたしは多湿と暑さに弱いので「さらっとした比較的涼しい土地」が合っていると思います。あとは「街中が常に人で溢れていない」「遊びやすいより暮らしやすい」でしょうか。
創造的な側面でいうと「生活を便利にしすぎない(デジタルとアナログを混ぜる)」「目に入る色をカラフルにしすぎない」「仲はよいけれど距離もとれる人間関係」というのが落ち着いて過ごせる、自分に合う場所です。
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神奈川へ引っ越した際、育てていた植物も全員連れて行ったんです。でも、環境がガラッと変わったせいか、わたしの育て方が悪かったのか、悲しいことにほぼ全滅してしまい…。
当然のことながら、人間だけでなく、植物にも合う合わないってあるんだなと感じました。人間のアレルギーと似ているかもしれませんね。
なんだか論点がずれていって、書いている内容にまとまりがない気もしますが、これも交換日記の面白いところなのかもしれません。
長くなってしまったので、今回はこの辺りで。
読んでくださってありがとうございました。
(おすすめの植物・育てやすい植物をご存じの方がいらっしゃいましたら、ぜひコメントで教えてください…!)
▶次回更新:2024年2月中(担当_あづ妙)