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松島聡コ。展を見て感じたこと

アイドルは、しばしば星に例えられる。
ステージ上でファンをパフォーマンスで魅了し、夜空に瞬く星々のごとく眩しく光り輝いているからか、それとも何光年先にある星のように決して手の届きようのない遠い存在だからか。人によって答えは変わるだろう。
少なくとも私は、アイドルとは手の届きようのない遠い存在だと思っている。なぜなら、ファンたちはアイドルの内面には一生触れることが出来ないと考えているからだ。私たちが知り得る彼らの情報は全て、彼らがファン側に開示しているものだけであり、それが彼らの全てでは無い。きっとどこかには、ファン側が知り得ることの無い彼らの一面が存在している。そして私は、そのことを悲観的に捉えている訳では無い。なぜなら、それは彼らがどのようなアイドルとして見られたいかを考えた結果だと考えているからだ。楽観的な考えかもしれないが、やましい事があるから隠し事をしているのではなく、アイドルとして理想的なイメージ像を保っていたいからなのではないかと、私はそう思い込んでいたい。子供じみた馬鹿げた考えだと思われるかもしれないが、アイドルは常にスポットライトに照らされた明るくて眩しい、順風満帆な人生を歩んできているのだと思い込んでいたいのだ。

冒頭から話が逸れてしまったが、先日見に行った松島聡コ。展についての感想を記しておこうと思う。作品の内容についても多少触れるため、まだ見ていない方はここでブラウザバックすることを推奨する。
また、11/18にオンライン配信されることが決定しておりFCに入会していない方でもチケットを購入可能なので、おすすめしておく。

まず作品を見て第一に感じたのは、こんなにも己の内面を開示し、曝け出してくれるのか、という驚きだ。
もちろん、作品に対する解釈は人それぞれであるし、受け手が彼自身が作品に込めた意図とは違う捉え方をすることもあるだろう。そして、この作品に描かれているものが、真に彼自身の内面であるとも言えない。ただ、コ。展においては、作品の受け取り方に正解などは無く、作品を受けて自分の心がどう動くかを大事にしたいと私は考えている。また、松島聡さん自身も、雑誌のインタビューでこのように語っていた。

''こういう考え方もあるよね'' ''僕はこう思います''ということをできる限り作品に投影したので、あとはお客さんがどう感じるか、ということをすごく楽しみにしています。

NYLON JAPAN 2023年11月号

先述したとおり、私たちが知り得る彼らの情報は全て、彼らがファン側に開示しているものだけである。きっと、彼らの内面に触れることはできない。だからこそ、まるで彼の心の奥深くに近づくことが出来たかのように感じさせる作品たちに心を揺さぶられた。

私は他者に己の内面をさらけ出すことや、偏った情報で「この人はこういう人だ」と決めつけられることに強い抵抗感を覚える。なぜなら、私自身が認識している私と他者の認識する私に大きな差が生まれ、一方的に期待されたり、失望されたりすることがとても恐ろしく感じるからだ。だからこそ、アイドルに対して映像や文字を通して伝えられる僅かな情報や真偽が定かでない情報で「この人はこういうアイドルだ」と決めつけることに強い抵抗を感じる。そして、多くの人から期待などを寄せられてもなお、堂々とアイドルとして振る舞ってくれる人たちのその強さをとても尊敬している。

私は、コ。展の作品を見ることが怖かった。彼自身の人生では、きっとファン側にはまるで想像もつかないような辛いこともあったかもしれない。もしも、そのような経験達がありのままに「辛かった過去」として描かれていたら。私はきっとそのような彼の人生ごと消費してしまう罪悪感に耐えられなくなってしまうだろうと思ったからだ。
けれどコ。展の作品たちは、彼のこれまでの歩みを丸ごと肯定して美しく飾り立て、新たな価値を見出していた。そんな作品たちを見て、私の人生まで丸ごと肯定して貰えたような暖かい気持ちになった。

ここで一点、コ。展の作品の中で特に印象に残った作品について記していこうと思う。
その作品はヘッドマネキンに無数の安全ピンを使って形作られたハットが被せられていた。
私はその作品を見た時に、第一に無機質な冷たさを感じた。
なぜなら、安全ピンというのは金属で出来ており、触れるとひんやりとして冷たく、無機質な光沢を持っているからだ。また、針の部分は鋭く尖っており、誤って皮膚に突き刺してしまおうものなら出血してしまうという危険性もある。そのような部分にも私は冷たさを感じた。
そのようなことをひと通り考えてから、横に添えてあるテキストに目を通した。
タイトルは「=(イコール)」。テキストの全文を記載することは控えておくが、テキストを読んで私はこの作品は人と人との繋がりを表しているのだと受け取った。だからこそ私はとても驚いた。なぜなら私は、人と人との繋がりというものに対して暖かく、柔らかいイメージを抱いていたからだ。しかし実際にはこの作品は、冷たく、鋭く尖った安全ピンで形づくられている。

繋ぎ止める鋭い思いやりと繋ぎ合わせる鋭い辛抱強さは、同じ武器なんだと気づけたら、もっと素直に笑えるね。

テキストより1部抜粋

テキストの最後には、このような一文が記されていた。私は、この一文から強い覚悟を感じた。それは、傷つくことを恐れずに、人と関わろうとする覚悟だ。
人と人との繋がりというのは、時に残酷だ。争い、すれ違うこともある。私は、様々な特性や考え方を持った人々がいて関わり合う以上、人間関係の諍いというものが絶えることは無いと考えている。だからこそ私は、人と関わることが怖いと感じる時がある。
彼もまた、人と人との繋がりの中に鋭さを見出している。けれどそれでもなお、人と繋がろうとしている。その姿勢がとても美しいと思った。

また、あるダンスグループを応援している知り合いから、こんな話を聞いた。
「彼らは言語の壁を超えて、ダンスで様々な人とコミュニケーションを取り合い、世界中の人達と通じ合うことが出来る。彼らの中ではダンスが新しい言語として成立しているのだ。」
この話を受けて私は、アイドルのパフォーマンスというのも、ある種の言語なのだろうと考えた。また、同様に作品での表現もある種の新しい言語なのだろうと考えた。
私は、言語というのは発する側と受け取る側、両方の思いが合致してようやく伝わるものだと考えている。そして、それでもなお100%思いが通じ合うことはない。けれど、せめてあとほんの少しだけでも自分の思いが相手に伝わりますようにと、精一杯言葉や表現、持ちうるすべての表現方法で伝えたいと私は考えている。だからこそ、これほどまでに伝えるということに真摯でいる彼の姿勢にとても感銘を受けた。
例えばアイドルが「愛してる」という歌詞を歌ったとする。その歌やパフォーマンスがアイドルや受け手の中で「愛してる」以上の意味を持つことがあるかもしれない。発せられたある言葉が、発した時の声色、表情などの様々な要素を通して、その言葉どおりの意味よりも大きな意味を持つことがあると、私はそう考えている。私はそうした表現の可能性を信じている。

コ。展の作品たちは、私にとっては己の内面を映し出す鏡だった。作品の表現に触れて、心が揺さぶられ、これまでの自分自身の人生について考えた。
コ。展の展示を全て見終わって、私も何か、自分自身の思いを表現してみたくなった。私の持ちうる方法で、何か少しでも自分自身の人生を描いてみたいと思った。だからこそこうして文章をブログに記している。
今でも私は、自分の気持ちを表現するということをとても恐ろしく感じることがある。創作物を通して、自分自身が否定されることがとても恐ろしいからだ。けれど、コ。展の作品たちは、私に表現する勇気をくれた。真摯に思いを伝えようとしてくれた。だからこそ、私も表現することに対して真摯でありたいし、彼らの表現する意図を、精一杯に受け止めたいと考えている。

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