恋に興味はあるけど、当事者にはなれない。
1年ほど前に、アロマンティックであることを自認した。
自認するより前から違和感はあった。
思春期から20年近く、一度も誰かに「恋」をしたことがない。
そのうちそういう相手と巡り会うだろうと思って、ゆるゆる生きてきたけどついぞなさそうな気がしている。
一方で、今まで人間関係に困ったことはない。
親戚、両親、弟妹ともとても仲が良く、転職も4回近く経験したが職場の人とトラブルになることはない。
学生時代の友人は、、、1人いるかいないかくらい。
なぜ自分は「恋」ができないのか。
恋愛感情のよく表現される
「トキメキ」や「てゅきてゅき大好き」の感情は、
楽しそうで幸せそうだけど自分がその状態になっていることを想像するとサブイボが立つ。
昔から、少女漫画や恋愛モノのドラマ、アニメが尽くダメだった。
全く共感できないからちっとも楽しめない。
いや、正確に言うと共感できない恋愛モノには共通点がある。
所謂「一目惚れ」や「ちょっと親切にしてもらったら惚れた」など関係値が浅いうちに落ちる恋のスタイル。
逆に、しっかり時間をかけて関係値を築いた上で、恋愛に発展するタイプのお話は楽しめることに最近気がついた。
LGBTが世界で表立って取り上げられるようになってから、恋愛的志向にも名称があることを知り、まさに「デミアロマンティック」の特徴とよく似ていると気づく。
同時に、婚活で知り合った異性と3年近く付き合っても、恋愛感情がわからなかった私は「アロマンティック」なのだと自認した。
その人とは、趣味に共通点があることから付き合い始め、デートの度に楽しい時間は過ごせていたが、ついぞ「トキメキ」や「触れたい」などの恋らしい感情は沸かなかった。
なぜ自分は「恋」ができないのか。
おそらく、本当は「恋をしたい」と思っていないのだろうと思う。
いや、恋とは無意識に落ちるもので、したいしたくないでどうこうなるものではない。
けれど、どうにも自分の中でストッパーがある気がしていてならない。
足元に恋に落ちる穴があったとして、そこに足を踏み入れようものなら
ホバー機能のついた履物が自動で感知作動して穴に落ちないように制御している感じ(?)
自分にとって「恋」とは、
楽しかったり、美しかったり、世界の見え方が変わり人生を豊かにする感情である。
と思うと同時に、
盲目的になり、無意識に支配する、される印象を持っている。
私はこの「支配」をとにかく許すことができない。
支配をすることも、されることも、だ。
何事にも縛られず、自分で意思決定して生きていたい、相手に対しても
そう思う人間故に、コントロールすることが困難な「恋」という感情は、
興味はあれど近寄りがたい感情になる。
この「支配」を恐れて、無意識にストッパーがかかっているという見解である。
よって、自身が恋をすることは難しいという結論に至った。
だけど、恋という感情はやはり興味深い。