日本人を作った教育の変遷とこれから

教育の変遷と人口の増減
民→国民→市民→個人→?
藩→県 →日本→世界の中の日本→?

民の教育
藩vs藩の争いがまだあり、日本国民という概念は無かった
武士は刀や馬の扱い、農民は米の育て方、など
地方分権で、生きていくために必要な技術を身に付ける教育を各階級、各家庭で実施
江戸幕府成立時1200~明治維新3300万人

国民の教育
廃藩置県以降、近代国家を運営する基盤として「日本国民」という意識を開発し、産業革命の技術の輸入を実施
一斉指導で本を読み、読み書きそろばんができる国民に教育することで、コミュニケーションを円滑にし、工場労働者の大量排出を可能にした
天皇、政府を中心とした中央集権体制に移行した
第二次世界大戦終戦時7200万人

市民の教育
第二次世界大戦後、欧米型の資本主義経済の後押しを受け、さらに人口増加の路線をたどる
欧米国家の市場としての価値を発揮するために、更なる技術輸入と、収入消費の増加
財閥解体や天皇の象徴化によって、家系や血筋による支配体制から、エリートによる管理体制へ
バブル崩壊から人口ピーク時12700万人
受験競争の過熱、エリート層への憧れへと幸福の概念の一本化

個人の教育
バブル崩壊以降、デフレと少子高齢化と実質賃金の停滞による幸福の概念の多様化
エリート教育から個人教育へ
個人の価値観の多様性から「美しいもの」や「応援したいもの」に価値を感じ、影響力や豊かさを獲得させていった
一方で、美しいものや応援される代わりに、社会資本化し、人権の一部を失う
大多数の庶民は自分の豊かさや幸福を見失う
支配者はGAFAMのような超国家企業群、一部の資産家、影響力を持つもの
教育の主体は、支配者層の提供するコンテンツ群とそれらを使う旧支配者層
人口~10000万人

これからの教育(仮説)
個人主義と全体主義の振り子のより戻しが始まる
日本人としての気質は「個の素養を発揮することで全体の悪に立つことで個人も豊かになる」というもの
そのために必要なことは「自分のルーツと好奇心から知識や技術を探求すること」
受験勉強はもはや競争のためのツールではなくなった
過去の義務教育は国民の民度向上に貢献するが、今の個人の幸福は最大化しない

これからの教育は「個人を定義し、個人の豊かさを最大化するとともに、全体の生産性を向上させるもの」になる

例、AIの扱い方、機械やロボットの使い方、自身の価値をより大きく見せるコミュニケーション方法、自分の価値の増大の方法、クラウドファンディングによる資本やリソースの調達、発信による不特定多数に対しての認知獲得法、未知の場に移動する勇気、など

その土台となる「学ぶ姿勢を学び、好奇心のきっかけを掴む」ことをこれからの義務教育で目指している
文部科学省の「生きる力」の解釈のひとつ

あとは旧態依然とした競争のための受験と捉えている大学受験用の塾予備校、目の前の成績を上げるだけで能力の向上を図っていない高校受験用や補習用の塾が邪魔

必要な知識や技術はそのたびに獲得すればいい
その獲得するコストを最小化する地頭の良さ、要領の良さ、学ぶ姿勢、移動する力を学ぶ教育を実施したい

要は、個のポテンシャルを上げることで、今解決できない様々な問題を解決できるように次の世代にバトンを渡すこと
全体主義でもなく個人主義でもない、某少佐風に言えば、うまいこと公私混同をやってのけるような感じ

教育の主体は各コミュニティのリーダー
義務教育の役割は、最低限の読解力と概念思考力の獲得による民度の向上
人口6~8000万人程度まで減少

各過疎自治体は合併され、一部の市街地に集中する
このとき、東京、名古屋、京都、大阪、福岡などの主要都市にのみ集中するというより、各都道府県の県庁所在地等の人口集中都市になっていく予想
東京の中央集権体制は変わらないが、地方の一部に独自の自治活動を主体的に行う都市が現れ、人口の移動が緩やかに加速していくはず
以前の藩vs藩のような、国家内での都市の人口獲得競争が現れてくる


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