リアリティは行動にある
国という架空の概念からマスクが届けられた時、受取拒否したらどうなるのだろうか?国という概念を超えた、ただの人という存在を国は認めることになるのだろうか?
ただの人も、どこかの国で生まれた以上は、その国に帰属することになる。しかしそれは行動の結果、その国に帰属することになったとは言えない。
ただその国に生まれ成長して年老いて死んでいくというだけでは、犬や猫と同じであり、たまたま人間なので国籍を持っているというだけの話になる。
単に税金を納めているというのは、戦争に駆り出されることと同じで、無条件に従っているだけなので、自覚的行動とは言えない。
ある概念についてどんなリアリティを見出しているのかが、行動として現れる。それは盲従ではなく、自覚が伴う。
筆者はCOVID-19対策にマスクは意味がないと思っていて、マスクは1年以上前の買い置きがあるので、不要なのだ。そもそも新型コロナウィルスから身を守る必要性を感じない。
国からマスクが届くという現象を、甘く見ないほうがいいと思う。何か試されているような気がする。
”イベント”が動き出している。そちらへ意識をフォーカスすることを阻むためのCOVID-19。
マスメディアの騒乱と、マスクや現金給付という小芝居で収めようとしても、動き始めたら、意識のシフトは止まらない。
マスク全世帯配布という決定を下す政府は無自覚だとしても、その背後にある意図の方を考慮する必要がある。