いじめと学校教育
旭川の女子中学生いじめ事件をうやむやにして幕引きにするつもりの教育関係者というのは、この事件で問われているテーマが、学校教育を根底から再構築しなければならなくなることを察知しているのかもしれない。
学校教育の再構築とは、スピリチュアル的視点を導入することである。
しかしそれをすると、これまで学校教育でやってきたことの無意味さを露呈する自殺行為となるので、解決するつもりがない。
スピリチュアル的視点から、この事案をとらえると、学校教育がいかに学生を追い込んでいるのかということがわかる。
猥褻動画をSNSで拡散されたということが当該事件の被害者にたまたま起こったと通常の感覚ではとらえるが、スピ的視点では、そもそも自慰行為は人類出現以来誰でもやっていることであり、すべての人類の活動は、アカシックレコードに保存されており、個別の体験も抽出して閲覧可能であるため、そのデータの共有も、無意識のレベルでは自動で行われている。
しかしこの視点を学校教育に導入すると、試験の意味がなくなってしまうのでできずにいる。
そもそも子供は、教えられなくても、意識がひとつであるということをはじめから知っている。それを学校教育によって忘れさせられてしまうのだ。
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