現実認識のリミット
物質を実在するものと認識して体験する「現実」がイリュージョンだなんて、到底思えないほど、私たちの認識は制限されています。
この認識の基盤に時間の概念があり、黄道十二宮=一年・二十四節気、一日二十四時間で運用される360°の体系に依拠します。
この制限は錯覚であり、そもそも誰もが無限そのものであることを思い出せばそれだけで済む話です。
特別な才能も承認も必要ないのですが、この錯覚を取り払うことが思うように捗らず、人類全体の意識のシフトは相当差し迫った段階に来ていると思われます。
それだけ、この錯覚(幻惑・マーヤー)は本物そっくりで、そこにリアリティを注いでしまうのです。
360°の体系は可視領域内であり、そこで肉体を伴う生命活動は行われ、そこから発生する諸々の想念は、不可視領域にあります。
これが不可視の存在(レプティリアン等)の養分になっています。
人類の意識が可視領域のリミットを超えて無限に直結してしまうと、こういった養分が消滅してしまうので、不可視の存在達にとっては死活問題です。
ただ思い出すだけでいいはずが、なぜか簡単には行かない理由はそこにあります。
時間の概念は、可視領域を制限する基盤となっています。
それは360°の体系に基づいています。これを420°の体系によって再構築することは、可視領域を超えて意識を拡大するレッスンになります。
もちろんこういった手順に必ずしも従う必要はなく、誰にでも意識のシフトは起こるべくして起こります。