苦手に向き合う 〜「話す」編〜
突然ですが、皆さんは、話すのは得意ですか?
私は苦手です。
(何も気にせず話せる相手もいるのですが)少なくとも、苦手意識があります。
話すことについて、ここ最近考えることが多かったので、
それぞれの出来事と、それに対して考えたことを書いていけたらいいなと思います。
①「話す」の質に向き合う
ことばの赤い糸展で出会ったことば
先週、「ことばの赤い糸展」というイベントに伺いました。
そこで出会った言葉が、以下のようなものです。
詳しく書いていただいたのがこちら。
これ、深いなあと思っていて。
要は、心の方が上だということ。大きいということ。
心があって、言葉が出来上がっているということ。
はじまりは、心だということ。
それはすごく、希望があること。
全ての言葉が、こんなに意味のこもった言葉だとは思わない。
すごい人に見られたくて発しちゃう言葉も
本当には思ってもいないことを発しちゃう言葉も、ある。
真実とは真逆のことを言ったりすることも、ある。
だけど
「あなたのことが知りたい」
「この感情を伝えたい」
…etc
そんな感情に素直に、ちょっと勇気を出して、話せたら
もっとリアルな会話ができるようになるだろうなあと思いました。
②「話す」の量に向き合う
色んな人の在り方を見て
私は、沢山話してる人=話すのが上手い人と思ってしまいがちだ。
でも。そうでもないのかも。
最近「address」という多拠点サービスの利用を始めて、何人かの人に出会った。(が、直接的には関係ない。プライベートで交友関係が狭いため、久々に新しい出会いがあったよという話)
そこでは、必要な時に必要なことを話してくれる人に、人間味やあったかさや愛を感じた。その人が周りの人にとても愛されているのも感じた。
それに、今までの出会いを思い出しても、
ポツンと呟いたことがすごく本質をつくようなことだったり、
大切なことを大切に言葉にしてくれた瞬間が嬉しかったりすることがあった。
そもそも、話し上手じゃなきゃいけないんだっけ?
聞き上手は、話し上手に劣ってるんだっけ?
沢山話さなきゃいけないんだっけ?
沢山とか、少ないとか、二極化できるものなんだっけ?
必要な時に、必要なことを話すじゃダメなんだっけ?
そんなことも考えさせられたし、
昔「私話すの苦手です〜泣」と言ったら
「でもあなたには、人に話させるスペースがあるよ」と言ってもらったことを思い出しました。
聞き上手・話し上手、優劣つけずに
どっちも楽しくできるようになりたいな。
②「話す」の種類に向き合う
演劇での表現
先日「Polygamy 〜最後の告白〜」という舞台を見てきた。
感想は、割愛するが。(まだ考え中)
演劇って、素晴らしい表現手段のひとつだなあ、と思った。
そしてその過程で自分にも向き合える。
①つ目の言葉、「言葉は心を超えない」ということは、
言葉は心の表現手段の一つであって、
必ずしもその表現手段が言葉である必要はない。という風にも捉えられる。
「声に出して話す」である必要はない。
ひたすら不言実行して、自分の「心」「覚悟」を表現するかもしれないし、
丁寧に言葉を探しながら紡いで、書いて「心」を表現するかもしれないし、
絵を描くかもしれないし、踊るかもしれないし、ものづくりに込めるかもしれないし、写真にこめるかもしれない。演劇で表現するかもしれない。
そう考えると、「話すこと」だけに拘らずに
今の自分に合うやり方で伝えたらいいし、
そうやって、「話すの絶対頑張らなきゃ!」ではなく
ラフに「話すこと」を捉えるからこそ、気楽に話せたりもすると思う。
まとめ
リアルな言葉で
必要な時に必要なことを
その時の自分に合った伝え方で
伝えられるようになりたい!
まーだまだ、
話すにまつわる、前提・思い込み・固定観念などなど
書けそうだけど
ちょっと疲れたのでこの辺で。
文章毎日書く人すごいなあ。
おしまい。
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