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生い立ちとミッション。

京都府福知山市で兄2人の末っ子
としてのーびのびと育ったさっきー。


全国駅伝制覇を目標に「全力」
で駆け抜けた中・高・大10年間。

周りからの印象は

「明るい、おもろい、努力の人」。

中学の練習日誌には

「人のプラスの存在に」

いつもそう刻んでいて、今も自分の軸。

毎日体と心に全力で
向き合った日々だった。

中2の時、
痩せたら走れる。
がエスカレートして、
食べるのが怖くなり拒食症に。

ジョグすら走れなくなった。

それでもみんなの前では
明るく笑っていた。

中学3年には拒食症を克服。
チームメイトのおかげで
府大会べべチームが
3年で近畿駅伝出場という
キセキを起こした。


中3では1,500m京都5位
まで復活したけれど、
その後10年間、無月経。
今考えると、恐ろしいね。
(無月経がフツーの環境だったな。
だから特に心配もしてなかった。)


高校は推薦で、
実家を離れて駅伝名門校へ。


駅伝登録メンバーに選ばれるも、
致命傷と言われる
恥骨の疲労骨折。

「終わったな…」

そう思うほど激痛だった。

顧問から
「マネージャーを兼務でやってくれへんか」
と言われた。

私にとっては「戦力外通告。」
に聞こえて、すぐに返事できなかった。

それでも切り替えて
監督と選手のサポートを全力でやった。

夜や練習前後、
部活仲間と日々マッサージをしあった。

その時に
「ポイントが絶妙」「紗季うまい!」
と喜んでもらうのがいつもうれしかった。
(それが今の整体の仕事に繋がっている。)

痛くない日なんてなかった高校後半。

何のために走ってるんやろう。
何度も思った。

夜、母に電話すると、
なんかいつもよく涙が出た。


母は「聴くしかできないけれど、
とりあえず早く寝な~。

明日は明日の風が吹くよ~」


いつもそう言って聞いてくれていた。


大学に入っても
ありとあらゆる故障を経験。

自分は

「メンタルが弱いんだ」

って何度も思った。

自分を責めては、
かき消すように努力した。

ようやく自分にあうケアを
見つけ毎晩40分ケアをした。

引退レースでは
大阪国際女子マラソンにて
21位2時間48分。
関西大学ランキング1位。

最後の最後で
やっと納得いく
好成績が出た。


卒業後、京都府庁に入職。
健康対策課にて
府民の健康づくりに携わった。

採用パンフ。
運動してなかったしパンパン。笑
母校課外活動パンフ


しかし、過労や発達グレーの
長男の相次ぐトラブル等で

過呼吸で救急搬送されるほど

体のバランスを崩し、
不安定な20代を過ごした。
(部署のみんなで、
不健康対策課やな。
って笑いながら
遅くまで頑張った。
議会中に頼んだ夜食の
CoCo壱美味しかった。笑)

体調を崩した時、
母と雪が降る中、
元旦に初詣へ行った。
母が手を握ってくれた時、

温かさに涙が溢れた。
心がほぐれたのを覚えてる。

母校のパンフ。
体調も整っていき、結婚して
いわゆる人生で1番綺麗な時期。笑😆

夫と出会い、
どんな時も

紗季なら大丈夫や!

と言ってくれて、
日々楽しくなったのを覚えてる。


体調を崩して以降、
整体に通ったり、
運動をしたり、
栄養学や解剖生理学、
心理学を勉強し
生活に取り入れる中で

「体が整うと心も丸くなる。
何事も塩梅。バランスだな」

ということを実感した。

学生時代に、選手間施術で

「ポイントをはずさない」

と喜ばれていたことから、
「整体師になり人を癒そう」と決意。

京都円町の自宅にて
コンディショニングサロン
「flow」をオープン。

flowの由来は、「フロー理論」から。
応援される側にとって力になる存在は
ご機嫌な元気な人。
仕事においては常に
「目の前の人を幸せにする。」
とコミットしています。

体と心に誰よりも向きあってきたからこそ、
たどり着いた答えは

「何事もバランス」が大事。


心も体も「強く」でなく

「しなやかに」

今は、人生で一番楽しいし、
着飾らない自分でいるのが心地よい。


あの時、母が自然と
手を握ってくれた時のように、

そっと人の心と体が
自然と元気になるきっかけ

を提供できたら。
そう思って活動しています!


ミッションは

自分自身もご機嫌に、
そっと心と体が元気になる
きっかけを

最後までお読みいただきありがとうございました。
ペコリ。

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