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終戦の日は8/15じゃない
今日8/23は母の誕生日。生きてれば78歳。
もう亡くなって2年が過ぎました。母が生きてたころは「あー、そういえば誕生日かぁ」くらいだったけど、今は特別な気持ちが生まれる日です。そしてそれと同時に、母の出身地のことを思い出すようになりました。
母は1946年、樺太で生まれました。終戦の一年後ですね。母からは記憶もそんなにないんだろうけどあまり戦争の話は聞かなかったです。おじいちゃんとかおばあちゃんからはうっすら聞いたことはあるけど。
今のウクライナとロシアの戦争には居た堪れない気持ちになりますが、それと同時に太平洋戦争のソ連が終戦後に行ったことを思い出し、個人的な感情ですがロシアが好きになれないでいます。あっ、人ではなく国がね。
1945年の8月15日にポツダム宣言により終戦となってますが、ぼくにとってはこの日はまだ全然戦争終わってなくて、9月1日までソ連が樺太含め北の各地を攻撃してたし、なんなら北海道まで占領しようとしてたんです。そして、戦争から逃れるための樺太から引き揚げる船に悲劇が起こりました。ソ連の潜水艦による爆撃で引き揚げ船が沈没したのです。1,700人もの犠牲者が出ました。それも北海道占領計画の流れでの出来事だったそうです。もう一度書きますが8/15の後の話ですよ。
母はその2年後の1947年に引き揚げ船「白龍丸」で樺太を離れたようです。母の遺品を整理してたときになんと、引き揚げ船に乗った証明書が出てきました。これを見たときはなんかよくわからない感情になり涙が止まりませんでした。船に乗る時期がもし違ってたら母が生まれてなかった、てことはぼくも存在しないことになります。想像しただけで恐ろしいです。
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去年SNSでこの証明書をアップしたところ、何人か知り合いに「私の家族も樺太出身です」と連絡いただき驚きました。ぼくは苫小牧市出身ですが、確かに港町(函館、室蘭、苫小牧など)は樺太から引き揚げた人が多いのは知ってましたし、たしか樺太に王子製紙の工場があったんじゃなかったかな?そういうのもあって苫小牧にはまだまだ知らないだけで同じ境遇の人いるんだろうなぁとは思ってた。
でもこうしてぼくがブログで書き残すことによって共通のつらい思いをしてた人と出会え、話聞けたのは嬉しかったです。なので、今回はこのnoteにも書き残そうと思いました。
下記のURLから30年くらい前にNHKで放送された樺太の話が見れます。こういう記録があるのも大切ですね。
とにかく、今の自分があるのはいろんな奇跡があってのことなんだとこの日は思い出すようにしてます。母、そしてご先祖様みんなに感謝。