今も昔も筍取りの翁ありけり
今年も竹藪の葉が散り始めた。ざわざわと風に揺れながら黄葉を散らす様は、竹の秋という風雅な名に相応しい。竹たちは強い風に揺れてもしなるばかりで、折れはしない。悠然と構えている。
慌ただしいのは、筍を掘って茹でて食う人間だけである。
真竹だか孟宗竹だか私は種類を知らないが、太くて食いでがある筍の時期もそろそろ終わりだ。今年も沢山食べた。
アク抜きの手間もさることながら、茹でた後の筍は日持ちしない。冷凍すれば持つが、冷凍庫の容量と収穫量が比例しないのだ。親戚や友人知人に配るからと、我が家の筍取りの翁、父が張り切るのである。
毎年、収穫に余念のない父が大量に掘り、母がアク抜きに追われるのがこの家に暮らしてからの季節行事である。かれこれ二十年近くになるか。
私はというと、年によってアク抜きをしたり、料理を作ったり、はたまた食べるだけであったりする。筍掘りはしない。やりたい気持ちもあるにはあるが、父の張り切りに水を差す気がするからだ。あと藪の中はおっかない。百足に噛まれたり、足を踏み出して怪我をしたくない。藪の中では完全に役立たずな私である。
今年はアク抜きせずに料理するだけであった。少なくとも今のところは。
筍は便利だ。大体の味付けに合う。焼いて塩、出汁と醤油で煮物に吸い物に筍ご飯、肉や野菜と炒めて味噌味、ホワイトソースでグラタンの具に、トマトソースと絡めてパスタにしてもいい。
最近作った筍料理のヒットは、余った塩辛と炒めた一品である。(写真。完全な思いつきだったがなかなか美味い。塩辛の汁ごと入れたのが良かったのかもしれない)さっきまであった酒が消えた。ホタルイカと炒めてパスタにしても美味である。やはり酒は消える。
筍の可能性は無限大だ。母が言うには、すり下ろして団子にしてもいいらしい。そういえば、肉団子に混ぜた時は歯応えが絶妙だった。
とはいえ、なんだかんだで天ぷらと木の芽和えが一番ではないだろうか。天ぷらは出来れば火傷するほどアツアツで。木の芽和えは烏賊と山椒の葉もたっぷりでお願いしたい。(写真。今年は生烏賊が手に入りにくかったそうで、烏賊抜きであった。母は無念そうだが、これはこれで好きだ)
大量の筍を前に途方に暮れる日もあるが、今年も大変美味しく頂いた。来年も父には筍取りの翁に、母にはアク抜きの嫗になって頂きたい。私も手伝うし料理するので、なにとぞよろしく。
余談だが、あと半月もすれば破竹の季節である。やはりアク抜きと料理に追われるだろう。今年も美味い破竹が生えることを期待するばかりである。
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