手紙:2050年ロンドン行

 今から約30年前、コロナという病気が流行った頃の話だ。君も教科書で習ったかもしれない。僕が25の頃の話。今でもほろ苦く、それでいて鮮やかに覚えている思い出の話。少しばかり、昔話に付き合ってほしい。

 僕は社会人2年目だった。2月から在宅勤務が始まり、4月には緊急事態宣言が出た。8月頃まで、僕も家で自粛をした。その後、世の中全体の自粛が緩んで感染者は増え、12月には過去最多を更新した。そのうちの1人が、 そう、僕だ。この話は、息子の君にも詳しくしてなかったね。

 症状は軽く、2週間の隔離で済んだ。幸い、家族の誰にも移さず済んだ。「良かったじゃん」君は無邪気に言うだろう。そうじゃないんだ。僕の感染のせいで、僕の母は、祖母の最期を看取ることが出来なかった。そして、通夜や葬式に出ることも断念した。末っ子の母は、三姉妹の中で一番に両親のことを想っていた。 両親と3人だけで旅行に行ったのは母だけだという。なのに、僕は奪った。とんだ、親不孝をしてしまった。

 祖母の訃報が届いたとき、僕は隔離施設にいた。母と妹は東京の自宅で、訃報を聞いたという。電話越しの最期。地方都市の病院は厳戒態勢であり、コロナが出れば地域一帯に噂が回ってしまう。「東京から来た」は、限りなく黒に近いグレーのシグナルだ。お見舞いを拒まれていたのだ。

 僕は、祖母が焼かれ骨になる前に、せめて見送りだけでもして欲しかった。「世の中の事情なんていい。自分を犠牲にしないで。」そう母に伝えるか、隔離施設の狭い部屋で、頭が擦り切れるほど悩んだ。大学ノートにメリットとデメリットを書きだした。意味のない図形が並んでいるようだった。25の僕は、母にかけるべき言葉を見つけられないでいた。

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 通夜と葬式の日取りが決まる。それは、母の外出自粛期間が丁度明けた翌日だった。しかし、母は「行かない」と言った。親族が感染するリスク、それが地域で噂となるリスク、それらを勘案し、話し合って決めたらしい。 理屈でいえば、真っ当な判断だ。世の中からしても、そうした判断が求められていたのだと、今でも思う。

 ipadの画面越しにみる、祖母の顔は穏やかだった。武家の血をひき、才気と気品に溢れた祖母らしい顔だと思った。でもそれは、電子の粒だった。 母は、納棺の直前まで、祖母の顔に触れていた。でもそれは、アクリルの板だった。涙がキーボードにこぼれ、嗚咽がリビングに響いた。

 愛溢れる母は、僕を一切責めなかった。他の親族もそうだ。恐らく、祖母も、娘が来ないことを責めることはないだろう。だけど、僕は母に行かせてあげたかった。少なくとも、背中を押すべきだったのだ。母は、祖母に似て、自分より他人を大事にする人だった。でも、本当に大事な時には、自分を大切にしても良いはずだ。僕は、母にそう伝えるべきだった。

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 君は、いまいち理解できないかもしれない。「万が一祖父に移したらマズい」「それで家名が汚れたら、むしろ祖母に失礼じゃないか」。リスクが1%でもある以上、そうした恐れは確かにある。至極真っ当な考え方だ。   でも、お父さんの戯言を最後に聞いて欲しい。

 2020年は、「不要不急」や「自粛」という言葉のもと、芸術や飲食店、人の繋がり…沢山のものが輝きを失った。もちろん自粛や感染症対策も必要だ。でも、個々の人生の輝きを曇らせてまで、守るべき「世の中」なんて、あるのだろうか。

 僕はそんな2020年で、1つの選択をして、1つの教訓を得た。母を「説得しない」という選択。もう1つは、「論理ではプロットできない大切なこともある」という教訓。これは、お父さんにとって、未来のあらゆる選択の礎になったんだ。

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 どうやら2050年も、とんでもない年になりそうだね。君のいるロンドンもロックダウンかな。まさか、30年の時を置いてコロナ系の感染症が復活するとはね。大使館勤務も、邦人保護やビザ発行とか大変だろうから…。

くれぐれも、身体に気を付けて。

#2020年わたしの選択

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