月を見ながらお酒を飲む詩「月下独酌」/李白
「日本酒を、もっと身近に」という理念をかかげながら活動している日本酒メディア・コミュニティ『酒小町』。今回は月を見ながらお酒を飲む詩「月下独酌」を読む詩仙、李白についてご紹介していきます。
みなさんは「月下独酌」という、月を見ながらお酒を飲む詩があるのをご存知ですか?
作ったのは中国の詩人、李白(りはく)。 李白は、杜甫(とほ)・白楽天(はくらくてん)とならぶ、中国の三大詩人の一人で、詩仙という別名もつくほどの偉人です。
実はこの人、大の酒好きです。
島根県に彼の名前にちなんで命名された日本酒が実在するのですが、飲んだことはありますか?
今回は詩仙・李白の生涯と、その作品をみてみましょう!
月を飲みながら飲む詩「月下独酌」とは
月下独酌 四首 其一
<原文>
花間一壼酒 独酌無相親
挙杯邀明月 対影成三人
月既不解飲 影徒随我身
暫伴月将影 行楽須及春
我歌月徘徊 我舞影零乱
醒時同交歓 酔後各分散
永結無情遊 相期邈雲漢
中国の詩人、李白について
この詩を作った李白が生まれたのは西暦701年。 当時の中国の王朝は唐。
日本は飛鳥時代、大宝律令が施行されていた頃です。
15歳頃にはすでにかなり詩を作っていた李白。 王朝で仕事に就く夢を抱き、20代半ばで故郷を離れます。 しかし、30歳を過ぎても、40歳を過ぎても、なかなか就職先が見つかりませんでした。
そんな李白が42歳の時、王朝から招かれやっと役職につくことができました。
主な仕事の内容は皇帝の側にいて、さまざまな雑用をとりおこなうというもの。
李白の場合は皇帝の所望に応じて詩を提供することでした。
そんなサラリーマン時代に作った歌が、前述の「月下独酌」です。
しかし、やっとのことで得たこの仕事を2年で李白は辞めてしまいます。
一説には酒癖が悪かったことが原因といわれています。
どうやら、宮仕えの生活に嫌気がさして酒浸りの暮らしになっていたようで、「自分の履いている靴をほかの職員に脱がせた」エピソードが残っています。今でいうアルコールハラスメントですね。 そんなこともあり、周りから距離を置かれてしまいました。
冒頭の詩は宮仕えの仕事のストレスや、職場の人間関係にうんざりして「自分のことをわかってくれるのはお酒だけだ」と、ちょっとやけ酒っぽく表していて、この詩をうたい、都から離れることを決めたのでした。
都を離れた李白は国内を放浪・周遊し、詩を作ります。
途中、内乱に巻き込まれることもありましたが、62歳でその生涯を終えます。
最後は病死といわれていますが、「船に乗っている時、酒に酔って水面に映る月を捉えようとして船から落ち、溺死した」という伝説もあります。
王朝に勤める前は仕事のツテを求める形で、勤めた後は世捨て人として、結果的に人生の長い期間を自由気ままに諸国を巡っては好きな詩を書いて過ごしていたことになります。
作品の作り方も、お酒の楽しさや、世の中の不平不満の代弁など、庶民的な目線が多いのが特徴です。
最後に、李白を称した言葉があります。
南北漫遊
求仙訪道
登山臨水
飲酒賦詩
よく遊び、よく飲み、好きなことを突き詰め、自由奔放に生きた人生を送った李白。
みなさんもぜひ覚えておいてくださいね。
それでは、今回はここまで!
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