アラサーで癌になった話をつらつらと04(2回目の手術!)
卵巣捻転の緊急手術から、病名発覚してから早2ヶ月後、
丁度、GWの最中に、2回目の手術を行いました。
当時、2020年5月ということでコロナ禍真っ只中での手術…
世の中は緊急事態宣言の中での手術&入院となりました。
今回は、その時のお話をしようかと思います。
手術2回目(追加手術)
開腹&ICU
正直、舐めていました、今回の手術も何となく終わりさくさくと退院できるだろうと…。今思い返すと、何故あんなにも余裕で居たのか謎です。
前回の緊急搬送の時は腹腔鏡手術と少しだけ(7センチぐらい)開腹した手術だったため手術翌日も元気にご飯を完食し、入院も5日足らずで終わりました。
今回はそんなものではありませんでした。
約10日間ほど入院し万全でないまま退院…その後1週間足らずで再入院という…。
本当に辛かった!!!!手術怖い!もう二度としたくない!(しかし、その次の春に再手術する羽目にはなる)
今回の手術では、大網とリンパ節と他諸々(右卵巣と子宮は残存)を摘出し転移を防ぐのと摘出した臓器から他転移していないか(ステージ)を検査するといった内容。
事前に説明はされてはいましたが、大掛かりな手術のため術後はICUに入るということは聞いていました…というのも、手術時間が8時間にも及ぶという。
勿論、全身麻酔です。
大網やらリンパ節やらを取るために、大体胸の下から股近くまでパックリ開けて、
ごっそり出して、剥がして、戻すという手術です。
手術前日入院し、翌日朝一番から一日かけて手術でした。
前日入院ではとても気軽な気持ちでご飯を食べて後は寝るだけ〜ぐらいの気持ちでしたが、やはり緊張していたようで中々寝付けることができず・・・。
どうせ明日は1日手術だし寝不足でもいっか!とも思っていました(実際、麻酔で意識ないだろうしと)
手術の朝
流石に少し緊張。しかし、頑張るにしても何も出来ないしな…
自己血を自分で持ちいざ手術室へ。
今回は前回の緊急時と違い自分で手術台へ上がるという貴重な経験をしました。
手術室ってこんな感じなんだ〜
何故かJPOPがかかっていた気がするんだけど今でも真実かどうかは不明。
点滴のルートを取ったり、硬膜麻酔の針入れた理といったところまでは自分の意思で動いていた記憶。
いざ、全身麻酔が効くとスヤァ…
気づくと、またもや色々な管で繋がれて目を覚ましました。
意識が朦朧としながら、ICUに運ばれ一晩様子を見ると…。
コロナ禍ではありましたが、母親もICUに入れ顔を見れました。
初めてのICUの感想
全然、寝れなかった。
いや、多分寝ていたんでしょうけど色々な意味で寝れなかった。
まず、びっくりするぐらいに身体が痛い。
8時間も手術していたから当然ですが、リンパ節を切除したのでそれを流す管(ドール?)が痛い。お腹の傷も痛い。熱も出る。辛い!!!
普通に辛かったです。
次に、次々と運ばれてくる患者さんたちが気になる…
カーテンひとつで仕切られているため他の患者や看護師さん達の声は勿論、丸聞え。
他の患者さんのうめき声や、緊急搬送の対応の声、色んな機械の音…
医療従事者の方々には一晩中、ケアして頂いて本当に感謝しかないです。
入院生活
流石に手術後すぐに自分の力で動けず、起き上がることも出来ない状態でした。
そのため、一晩ICUで過ごしその後はベッドごと個室へ移動。
当時すごく痛くて痛くて、でも自分でトイレには行けるようになりたくて…
気合いと根性で何とか2日か3日後には尿管を外しノロノロとトイレへ…
しかし、年季の入った病棟だったせいかトイレが個室近くにないため点滴棒で体を支えながら休み休みにトイレへ向かっていました。向かっている途中に何度も看護師さんに心配され…。あんなにも歩くのが大変になるとは思ってもいませんでした。
入院生活で辛かったのは、ご飯があまり食べられなかったことです。
術後初めての食事で、普通食を食べた後に吐き戻してしまいその後、全く食事を受け付けられず…。
胃がぐるぐるするのと、物を入れると急激に締め付けられて痛くなってしまっていました。
一度、担当医の先生が「何を食べたい?」と聞いてくれて「酸っぱいものを食べたい」と言ったら病院内のコンビニへ連れ出してくれました。
そこで、何でもいいから食べれそうなものを買って、(確かゼリーとカムカムレモン…)何とか少しずつ胃と腸を動かすようにと。
後は、リンパ節をとったのが影響しお尻周りがものすごくむくみ、持ってきた下着のゴムが痛くなってしまいました。
病院から職場が近かったT氏にお願いしていつもより2サイズ以上大きい下着を買って来てもらえて、何とか過ごせましたが流石に下着が足りなくなり入院生活最後の方は手洗いしていました。
入院中、コロナ禍ということで勿論面会は禁止でしたし基本は病室から一歩も出ず、体調も術後5日間ぐらいは良くもならず、食事も食べれず…流石に心折れて病室で1人泣いていました…何でこんな辛い思いをしなくてはいけないのか!!!
自分の身体を思うように動かせない、食べれない、というのはこんなにも辛いことなんだと初めて実感しました。
何だかんだと10日間ぐらいの入院で一応ですがお腹を支えながらゆっくりは歩けるようになりご飯も何とかお粥で食べられるようになりました。
万全の状態ではありませんでしたがとりあえず退院という形で、担当医の先生に少々心配されながらも実家へ戻りました…
が、この後、退院して1週間で再入院する結果に。
今思うと、手術がどれだけ大変なことで回復するには時間がかかること、
体調を戻すことに焦ってはいけないこと、自分の体の状態をしっかり理解すること…
これらをちゃんと頭に入れていないといけなかったと反省してします。
ちなみに、手術痕はお腹を縦に12センチほど、胸の下からヘソからさらに下へぱっくり。
術後に、病院の先生や看護師さんが毎日入れ替わり傷跡の状態を確認してくれるのですが皆さん口を揃えて「傷口きれいだね」「きれいに閉じてるね!」「手術もきれいに取れたから!」と言っていたのですが、
「きれい、って何????どういう状態???私から見ると傷跡だいぶグロいんだけど???」と1人で???となっていました。
ちなみに3年経った今でも傷痕はバッチリ残っています。
ではでは、今回はここまで。
全然、話がまとまらず拙い文章を読んで頂きありがとうございました。
しゃけ