アラサーで癌になった話をつらつらと06
全然書き進めることができずに、月日が流れるばかり……。
もっと投稿ペース早くなれるように頑張りたいな
さてさて、今回は抗がん剤治療に入るまでの話をしていきたいと思います。
手術後の検査の結果、卵巣がんのステージはⅠ-cと診断されました。
幸いにも初期での発見でしたが緊急手術の時に腫瘍を取り出す際に、
その腫瘍が体内で破裂しているため、もしかしたらがん細胞が体内で飛散してる可能性があるとのことでした。
ステージⅠの場合、手術後は薬物療法をせずに経過観察といった選択肢もありました。しかし、上記の理由により見えないしまだ見つかっていないだけで、がん細胞が残っている可能性を考えると薬物療法をおすすめするとのこと。
正直、手術も怖かったですが薬物療法も怖かったです。
メディアで提示されている印象でしかないですが、確実に自分の見た目は変わってしまうだろうし、副作用でいったいどんな状態になるのか…。
でも、やるしかない
治療せずに後悔するなら今やろうと
最初に運ばれ手術をした病院では実家から遠く通うことができなかったため、近くの県病院を改めて紹介してもらい(すでにイレウスでお世話になってはいるが…)担当になったN先生と相談しながら治療について決めました。
「髪の毛ってやっぱり抜けますか?」とお聞きしたところ、ほとんどの人が抜けるとのこと、「あらゆる毛が抜けるよ、ただ薬を止めたらすぐに生えてくる人がほとんどだから大丈夫。みんな、髪の毛は元に戻ってる」と。
結構この言葉に勇気をもらいました。
そっか、元に戻るのか!と。
治療開始までにしたこと
・休職手続き
3回目の入院(術後イレウス)ですっかり弱ったため会社にはしばらく治療の間は休職しますと伝え、休職手続きを進めました。
上長と人事と後は数年お世話になっている方にしか病名は告げずに、ひっそりと休職しました。2回目の入院までは正直、治療しながら仕事は続けられるのでは?と思っていましたが3回目の入院で「これは無理だ」とやっと病気の重さを実感した気がします。
重さというか、ことの重大さ?みたいなことを
仕事どころではない!!!!周りの目を気にしている場合ではない!と
といっても、この頃は世の中はコロナ禍真っ只中。
薬物療法によって免疫力が通常の半分以下になると言われていたので、感染症には人一倍気をはる必要があるので極力、家族以外の人とは会わないようにと。
コロナ禍に様々な人の考え方が出回りましたけど、私にとっては治療中にコロナに罹ったら多分、死ぬんだろうなといった状況でした。
そのため、薬物療法に入る前に当時のパートナーと一度会いましたが治療中は一切会うことはせずに連絡だけ取り合うこととしました。
・ウィッグ、ケア帽子の購入
治療の懸念は副作用による体調の変化でしたが、何よりも髪の毛が抜けることでした。
見た目が変わるのは怖い…。
ひとまず安心感が欲しいので、ウィッグの購入を検討。
そんなに人と会うことはないけどやはり外に出るのは抵抗感がある…ということで、ネットで購入しました!
2万円ぐらいで人毛MIXショートを購入。自分の毛色に近しいものを購入してみました。
自宅に届いた際には、母親や遊びに来ていた姉とウィッグを着けてお披露目会(笑)
グレーヘアの母から若かりし頃の母が蘇り、面白かったです。
ケア帽子は色々と可愛らしいものもありましたが、家で身につける物なのでお手頃価格で病院内のコンビニで売っている黒色のシンプルなものを購入。
ただ、夏に向けて毎日となると替えが必要だろうということで、母親が家にある手ぬぐいで作ってくれました(これが意外と良かった)。
正直、治療中はウィッグはたまにしか着けずほとんどケア帽子か外に出る時はケア帽子の上にキャップやベレー帽をかぶって出かけていました。
というのも、夏のウィッグは暑い…
秋、冬はニット帽で充分でした。
治療に入るまでの準備はこんな所ですかね…。
色々と考えても仕方がないですし、困った時や体調が悪い時はもう素直に両親や近くに住んでいる姉に助けてもらうしかないとお願いだけはちゃんとしました。
実際、薬物投与した日は自力で運転できませんでしたし、周りの人を頼るしか他ありませんでした。
後は、やっておけば良かったなと今になって思うのは、
髪の毛を金髪にしておけば良かった!笑
人生で一度も髪を染めたことがなかったので、どうせ抜けるならと思いっきり金髪のベリーショートにすれば良かった!
お金がもったいないと思いセルフカットで髪は短くしてしまいました。
元々そんなに長くはないですが…。
とりあえず、今回はここまで。
次回は薬物療法1回目と具体的にどんな治療となったかを書けたらなと思います。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
※タイトルの写真は全く本編と関係のない諏訪湖の写真です