『しっかりしなきゃ』を卒業した23歳の女の話。留学生活のリアル。
こんにちは!フランスは夕方4時を回りました。今日は人生のターニングポイントかもしれません。今日はエッセイ形式で私の「しっかりしなきゃ」症候群を卒業したお話を、きっかけを作ってくれたはるな檸檬さんの「ダルちゃん」を取り上げながら私の幼いころからの体験を交えてお話していきたいと思います。
わたしの父は小さいころからタクシー運転手として頑張ってくれている。父は勉強が得意じゃないので、いつもどんな時も勉強に関して「無理しなくていいよ、(成績は)真ん中でいいんだからね」そう言ってくれた。
母はタイ人。タイ北部チェンマイ出身で、父と結婚してから来日。本当に農村で育った母は日本語を勉強したこともなく、来日してから日常会話を通して独学で日本語を話せるようになった。なので話せるけど、読めない。
そして私には一回り離れた兄がいる。兄は生粋のタイ人で、私とは異父兄弟となる。兄も小学6年生のころに日本へ連れてこられた。
こんな感じでまあ何だかんだ不思議な家庭の次女として私は生まれてきた。
なので私は家族に人生で一度も「勉強しなさい」と言われたことはない。
おかげさまで自分から勉強する分には好きだ。勉強自体は好きである。
こういう家族の中にいると、幼いころから私は
「私がしっかりしなきゃいけないんだ」
そう思い続けてきたし、それが最善の策だと思って今まで生きてきた。
小学校の入学式の次の日になぜかタイに3か月連れていかれ、小学校のシステムに帰国してからなかなか慣れなかったり、自分の演技の順番がよくわからず、遅刻気味で運動会に参加したり、高学年になってからは自分で便りを読んでサインしたり、なんだか普通だったら周りの親御さんがやることをわりと自分でやってのけた小学校時代だった。
仕事で忙しい父、日本語が読めない母、そんな両親を持ったためか「何事も自分でやらなきゃ」そう思ったのだ。
また夫婦喧嘩も日常茶飯事。タイ人とは気性の荒いもので、すぐ包丁を投げつける。よく物は壊すし、父に包丁を投げつけ、流血騒ぎになるなんてザラにあった。今思えば凄まじい環境を小学生の時に経験したなと思う。そりゃもちろん何度も離婚の危機に立たされた。でも私は2人に離婚されては困る、そう思い何度も2人を思いとどまらせた記憶がある。どうやったかは覚えてないけれど。
中学1年生の時、初めて転校した。転校先では思ったように馴染めず、中学校2年生まで学校に行ったりいかなかったりと、準ひきこもりをしていた。もちろん担任の先生が心配して家に来てくれたこともある。
しかし当の本人病んでるわけでもなく、当時大好きだった関ジャニ∞のファンを盛大にやってただけで、全然元気だった。学校にいくより楽しかった。学校の友だちより、関ジャニ∞のファンの人たちと話してるほうが自分が自分でいられたからだ。
そんな私も無事高校へ進学、素敵な友だちもでき、人生で初めて自分の「影」の部分を捨てた気がした。と同時に「優等生キャラ」ってものがどこが今度は私にまとわりついてきた。
「しっかりしてれば人に認めてもらえる」「しっかり宿題をこなせば認めてもらえる」いつのまにか「しっかり」のトンネルに入ってしまった。
生徒会をやってたり、高校3年間学級委員をやったりと、どこか自分の中に「正統派・優等生」を守ろうと躍起になってた。成績は中の上くらいだったけど。ぐれることはなかったし、ぐれるなんてことは格好悪い、そう思ってた。
なんだかんだで希望の大学に進学し、そこでもそこそこ真面目キャラを発揮。授業を最後尾で聞くなんてことは人生でほとんどしたことない。
不真面目な人がだいたい後ろのほうに座ってるし、私はそもそも勉強しにきてるし、勉強が好きだから前のほうにいつも座っていた。いまでも後ろに座るのは好きじゃない。
そんなこんなで真面目キャラを今まで遠し、真面目キャラでフランス留学にきてしまった。
「英語が話せなければいけない」
「授業はしっかりでなきゃいけない」
「いい成績を取らなきゃいけない」
「しっかり勉強しなきゃいけない」
「毎日勉強しなきゃいけない」
「みんなが羨むような留学生活を過ごさなければいけない」
いつの間にか「しなきゃいけないお化け」に憑りつかれまくっていた。
実際のところ留学前から正直わたしは留学ブルーで、燃え尽きていた。何のための留学かさえよくわからなくなっていた。
「留学では何か大きい凄いことをしなきゃいけない」
誰に何を言われたわけでもないのに。
そう勝手に思い込んだのは、わたしだった。
そう思い込んだわたしは結局疲れ、留学先で時々引きこもるようになっていた。正直留学先でひきこもるなって正直めっちゃ格好悪いと思ってた。だからはじめは誰にも言えなかった。遊びに行く友だちもいない、その街を楽しめない、飲みにいかないのはまるで悪、思い描いていた留学生活はもともとキラキラしたものじゃなかったけど、予想以上に質素なものだった。
人と話さないほうが楽だった。英語を話すのも嫌になった時も多々ある。
「ああ、なにやってんだろう、だめだ自分」
そう自分を責めることが増えた。出来なくては自分を責め、さらに出来なくてまた自分を責める。それなのに人には「あなたは留学してて凄い・偉い」と褒められる。辛かった。何にもできてないのに、そんな評価をされるなんてとてもじゃないけど耐えられなかった。なのにその人たちの期待や評価を裏切ってはいけない、そう思いしんどくても頑張った。でも気づいた。
じゃあ誰のための留学なんだろう?
私の中の何かが徐々に崩れ落ちた。
そして引きこもりを楽しむようになった。
そこで気づいた。本来の自分って全然しっかりしてなくて、どちらかといえば本当は怠惰でとてつもなくめんどくさがりなんだってことを。
今日先ほど紹介したはるな檸檬さんの「ダルちゃん」を読んで気づいた。
そして心の淀みが涙とともにどこか流れ、気持ちが楽になった。
「ああ私こうでいいんだ。だらけたまんまでいいんだ。」
漫画の冒頭で「私の完璧な擬態のおかげで会社の皆は誰も私が本当はダルダル聖人だなんて気付きません」と描いてある。
「ああこれだ、私はこれだ」
そう気づいた。虚偽の私ばっかひとり歩きして、その虚偽の私に本当の私が必死に追い付こうとしていつの間にか苦しくなっていた。自分で勝手にそんな虚偽の私を作り出したくせに、って。
だから今日からダルダルの私になろう、ダルダルの自分を愛そう、そう思った。授業出て経済の勉強が分からなくてもいい、友だちが少なくて遊びに行けなくてもいい、大学のレポートのために苦しまなくていい、ダルダルでいいんだって。
自分を忘れ去ってしまうくらい自分を自分で苦しめるなら、いっそ思い切って自分を甘やかそうって。
そうしたら自分の好きなこと、やりたいことを思い出し、見つけられるかもって。ネットに書いてある誰かの考えや言葉をまるで自分のことのように受け止めすぎるんじゃなく、最後は自分で答えを出そうって。
それが本当の強さであってほしい。そう信じたい。
誰のものでもない私へ。
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