第106回 「ウクライナのためのクラクフ」の女たち(ポーランド)
ポーランドのクラクフは、ロシアの軍事侵攻以来、ウクライナ女性たちが身を寄せる世界一の「ハブ港」となっている。フェイスブックページの「ウクライナのためのクラクフ」はメンバー3万5000人。助けを求める声、助けますという声であふれ返る。
「大家族向きの家を数カ月間、無料で貸します。数家族一緒でもOK」
「キエフから車で逃れてきた数人をアパートに泊めています。近くに無料駐車できる所ありませんか?」
「先週まで住んでいた所を出なくてはいけない女性がいます。一家は5歳の息子と祖母、猫1匹(おしっこのしつけ済)。彼女の仕事はITなのでネット環境必須」
「戦火で家族全員を失い、犬4匹(1匹は足に怪我)と生き延びた女性を泊めています。彼女も足を撃たれましたが、車を押して犬と散歩したいそうです。乳母車または似た車を求む」
「2組の母子を預かっていますが、もう1組受け入れOKです」
こんな切実な投稿を読んでいたら「クラクフは女だ!」という巨大なポスターを思い出した。クラクフを訪問した3年前の春、広場に貼られていた。目を奪われた私は、市役所に駆け込み、受付で「あのポスターは何ですか?」と聞くと、担当した職員を紹介してくれた。
「昨年(2018年)は、ポーランド女性参政権100周年。クラクフの有名無名の女性たちを知らせるポスター展を企画しました。今年も女性デー前後の数カ月間、広場に展示しているのです」という。
クラクフ女性センターを訪ねると、所長は「女性参政権なら、クラクフ郵便局職員のヴワディスワヴァ・ハビヒトを忘れてはなりません」と教えてくれた。
「ハビヒトは1903年、女性職員のための生活協同組合を立ち上げ、1911年から女性参政権運動に力を入れて、1918年の女性参政権獲得に貢献しました。でも実は、彼女を有名にしたのは参政権より、独身女性が安心して住める安価な住居を造ったこと。働くシングル・ウーマンのために集合住宅を誕生させたんですよ、第一次大戦より前に。『忍耐と連帯と』が彼女のモットーでした」
かつてロシアなど強国によって国を奪われてきたポーランド。母国語すら使えなかった時代、ポーランド民族の命綱は「非合法運動」だった。キュリー夫人で知られるノーベル物理学・化学賞のマリア・スクウォドフスカが通った学校も、個人の住宅を解放してつくられた「非合法学校」だったという。
難民たちに住まいを提供しようと奔走する今のクラクフ。その背景には、女性の忍耐と連帯が織りなす歴史がある。
(三井マリ子/「i女のしんぶん」2022年4月10日号)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?