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第93回 女性が選挙権を得て106年(デンマーク)


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4月10日は歴史的な日だ。戦後すぐの1946年のこの日、日本女性は初めて投票所に足を運んだ。その衆議院議員選挙で、全国から79人の女性が立候補し、39人が当選した。割合にして8・4%だ。ところが、2021年現在、いまだに女性は9・9%にすぎない。

デンマークの女性が初めて投票所に足を運んだのは1918年だった。立候補した女性41人中、当選したのはわずか4人、2・9%。だが100年以上経った今、女性は40%! 首相も女性だ。

女性が1人、暗い家の扉を開けて草原を見つめる。ミッテ・クヌートセン監督のドキュメンタリー映画「自由 平等 参政権」(1990)のポスターは、夜明けを迎えつつあるデンマーク女性を描いている。

映画公開から10余年経た2002年、私は憧れのフェミニスト監督ミッテに会うためコペンハーゲンの自宅を訪ねた。そのとき頂戴したのがこのポスターだ。先日、偶然ネットでこの映画を観た。

女性に参政権を与える法案が初めて国会に出されたのは1886年11月。提案者は平和主義者で知られるフレデリック・バイヤー議員で、後にノーベル平和賞を受賞した。妻のマチルダ・バイヤーは女性解放運動家だった。2人は1871年、女性の権利を求めるデンマーク初の運動体「デンマーク女性ソサイエティ」を創設。会の定期刊行物『女性と社会』は世界最古の女性誌と言われる。

旧来の法文には「女性、子ども、犯罪者は選挙権がない」という表現があった。その文面から女性を削除したのが新法案だったが、「女性は夫を通して政治に参加できる」という意見が大勢を占め、反対多数で否決された。

1887年2回目も否決。1890年3回目。1891年4回目。1893年5回目。1895年6回目。1897年7回目。1903年8回目。1905年9回目。1906年10回目。1907年11回目。1908年12回目。1912年13回目。1913年14回目。その度、議長が「否決」と木槌を振り下ろす。しかし、ついに1915年、15回目にして賛成多数で可決成立。ここまで29年かかった。

その間、女性参政権を揶揄する風刺画が出回った。例えば、男性を足蹴にして倒そうとするこわもての女性が描かれ、「私かあなたか、家の主人はどっちだ」と。こうした非難や嘲笑をよそに、女性たちは数々の新組織を創設して女性の声を強固にしていった。さらに国際的女性参政権連盟への加盟、国際会議の開催…と連帯を世界に拡大した。この粘り強さに私は深い感動を覚える。

(三井マリ子/「i女のしんぶん」2021年4月10日号)


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