第108回 女性解放の先輩ロシアの堕落(ノルウェー)
今から20年ほど前のノルウェー訪問のことだった。若い頃、女性解放運動家だった国立大学図書館館長マグニ・メルヴェールは、昔のポスターを探し出してきて私の前に広げた。
「これ、子どもを抱えたスカーフの女性がシンボリックで、ロシアのポスターのように見えます。でも70年代のノルウェーのものです。ノルウェー語で『女たちよ、メーデーでは女たちの要求をすべきだ』とあります。あの頃まで、女性運動はロシアが確かにノルウェーの遥か先を走っていたのです」
ロシア革命を指導したレーニンは1918年、憲法で女性の権利を定めた。女性は男性と同様に雇用され続ける権利も認められた。公立保育園も整えられた。妊娠中絶も合法化された(スターリン時代は再び禁止)。国際女性デーは1913年に始まって、1922年から国民の休日になった。
こうしたソ連の家族政策の礎を築いたのが、平和運動家で革命家のアレクサンドラ・コロンタイだ。彼女は、革命前、北欧諸国を渡り歩き、スウェーデンではその過激な反戦思想ゆえ逮捕されたという。後にノルウェーに滞在し、その労働運動に多大な影響を与えた。
革命後は祖国に戻って女性初の閣僚に着任したが、政権から外されてノルウェー駐在大使としてノルウェーに1930年まで住み続けた。女性としては世界初の大使だった。
ノルウェーの女性参政権は1913年だからソ連より4年早いのだが、ソ連より早かったのはこの参政権だけ。1939年までのノルウェーでは、雇用主は女性が結婚したらクビにすることができた。妊娠中絶は1978年まで違法だった。
60年代、ノルウェーの女たちはどっと職場に躍り出たものの、保育所は5%ほどの狭き門。女たちは自治体に要求をつきつけ、地方選挙に立候補した。女子学生や若い女たちは、新しい団体を次々に作っては妊娠中絶合法化に向けて戦闘を開始した。
労働党や左派政党の女たちは党内の男性主導体制と闘った。1965年、労働党の政策方針に初めて「男女平等の推進」が記された。この頃のノルウェーの女たちが、レーニンやコロンタイの国を憧れのまなざしで見ていたのも無理はない。
今やノルウェーは世界屈指の男女平等国となった。
かつて「鳩」(平和)と「子どもを抱えて働く女性」(家族政策)で北欧女性に強烈な影響を与えた隣国ロシアは、紆余曲折あってスターリンの恐怖の大粛清時代を通り、さらに曲折を経てプーチンの時代となり、いまウクライナ侵略戦争に狂奔している。あゝ…。
(三井マリ子/「i女のしんぶん」2022年7月10日号)
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