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第100回 性差別撤廃へ41団体が手を携えた(日本)


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今から46年前の1975年11月22日(土)、神田の共立講堂。冷たい雨が降る中、全国から41女性団体、2300人が集まった。プラカードを手に壇上に勢ぞろいした女性たちの写真が、翌々日の朝日新聞で報じられている。

「なくそう男女の差別・つよめよう婦人の力」をスローガンにした国際婦人年日本大会(当時「女性」を女偏にほうきを持たせて「婦人」と呼んでいた)。左派政党系の働く女性団体から主婦中心の団体まで、保革を超えての大同団結だった。読売新聞も「女性史上初の“快挙”」と書いている。

国際婦人年日本大会は、80代だった市川房枝委員長の下、1年がかりの準備を経てこぎつけた。参議院議員4期目の女性運動家で、女性国会議員25人(衆7、参18)の指導的立場にいた彼女だからこそ、主義や立場の異なった団体をまとめあげられたのだろう。大会で発表された政治、教育、労働、家庭、福祉の5分野の実態報告と問題提起は、実行委員会の手で政府の関係当局に提出された。

国連による世界女性会議の第1回は、1975年6月、メキシコで開かれた。133カ国3000人が、女性差別撤廃を求めて集まった。219条の「世界行動計画」が採択された。市川さんらは、その5カ月後、日本政府にメキシコでの「行動計画」を実行させるため、国際婦人年日本大会を開いたのだ。

私はまだ20代。「国際女性年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」(「行動を起こす女たちの会」)に入会したばかりだった。

行動を起こす女たちの会は、「わたし作る人、ぼく食べる人」のハウス食品CMを、固定的男女役割を助長するものだと告発した。「世界行動計画」175条に基づく行動だった。すると「エキセントリック」「被害妄想」「こんなことより職をなくした母親のための運動を」などなど、揶揄と嘲笑の嵐に襲われた。今でいうネット炎上だ。市川房枝さんのハスキー声さえも、「ヒステリックな黄色い声」にされた。

この歴史的ポスターは、今年初め、多摩市に出かけた時、奈良喜代美さんから「あなたにあげたいとずっと思っていた。やっと務めを果たしました」と手渡された。

ポスター右上のマークは、メキシコの国連世界女性会議に採用されたエンブレムで、今も世界中で使われている。鳩は平和、イコールは平等、メスマークは女性。ニューヨークのデザイナー、ヴァレリー・ペティス(27歳)が作った。先の東京オリンピックのエンブレムは100万円だったが、これは無料だった。

(三井マリ子/「i女のしんぶん」2021年11月10日号)


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