第131回 わが子を売られた奴隷は叫んだ(アメリカ)
アメリカの最も偉大な女性解放運動家、黒人解放運動家は誰か、と聞かれたら、私は躊躇なくソジャーナ・トゥルース(1792?—1883)をあげる。ポスターからこちらを見ている女性だ。
ニューヨーク州アルスター郡のハドソン川のほとりに生まれた奴隷で、イザベラと呼ばれた。1827年、ニューヨーク州が奴隷制を廃止するまで、5人の主人に売り買いされた。オランダ人入植地で育った彼女は英語が話せず、ミスが目立ち、毎日、激しく殴られた。
20代の頃、男性奴隷に恋をして子どもを何人かもうけたが、主人はこれを許さず、2人は引き割かれた。彼女は末娘を抱いて逃亡。奴隷制廃止論者でクエーカー教徒夫妻が、わずか20ドルで、主人から身柄を買い取ってくれた。
しかし、一難去ってまた一難。息子の1人が他州に売られてしまった。取り戻すために法廷闘争に打って出た彼女は、クエーカー教徒宅から法廷まで片道8キロの道を、裸足で通い続けた。やがて弁護士宅に住み込むことができ、弁護士は無報酬で弁護してくれた。そして黒人女性が白人男性に勝訴! 奇跡だった。
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1843年、イザベラは「神の啓示を受けた」と称して、ソジャーナ・トゥルース(Sojourner Truth、「旅人」「真実」という意味)と名前を変え、黒人解放運動、女性解放運動の行脚に出る。
彼女の業績を不動のものとしたのは、1851年5月、オハイオ州アクロンで行なわれた全米女性の権利大会での演説「私は女でないのですか」だった。彼女は、招待もされず、演説予定者でもなく、頼まれもしなかったにもかかわらず、自ら演説をし始めた。読み書きができなかった彼女は、全て即興で語った。183㌢の体躯に朗々とした声、ジェスチャーやウィットも交えた、と語り草になった。
「私は男と同じくらい筋肉があり、男と同じくらい多く仕事ができます。 この腕を見てほしい。耕し、刈り取り、皮をむき、切り刻み、草を刈ってきた、これ以上のことができる人がいますか。私は女でないのですか」
「私は13人の子を産み、ほとんどが奴隷として売り飛ばされた。わが子を奪われた母の叫びを聞いてくれたのは神だけでした。 私は女ではないのですか」
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ソジャーナの死から37年経って、アメリカ女性(黒人は除く)は参政権を獲得した。黒人が参政権を得たのは、さらに35年経ってからだった。
80年代、コロンビア大学学生寮に入った私が、最初に買ったのは、ソジャーナを描いた芸術的ポスター(アン・グリファルコニ作)だった。白い壁に貼って、毎日、見入った。
(三井マリ子/「i女のしんぶん」2024年6月10日号)
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