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第102回 男女半々こそ政治のアタリマエ(フランス)


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さすがは芸術の国。人々の眼を奪うシンプルさ。これは、1998年3月8日の国際女性デーにむけて、フランス政権与党が打ち出した傑作ポスター「彼女たち抜きの変革なんてあり得ない」である。

フランス社会党は、1994年、完全比例代表制で行なわれるEU議会選挙で、候補者リストを男・女・男・女…と交互にする50%クオータ制を実行した。95年、ジャック・シラク大統領は、「男女同数監査委員会」から憲法改正を含む提言を受けた。96年、女性の権利相だったイヴェット・ルーディなど女性議員が週刊誌『レクスプレス』に「パリテのための10人宣言」を発表。世論は一気に盛り上がった。97年、総選挙で「女性候補30%以上」を実行した社会党は支持を集め選挙に勝った。しかしながら、女性は全国会議員の1割にすぎなかった。

97年、大躍進したフランス社会党は、リオネル・ジョスパン首相のもとで、社会党・共産党・緑の党などによる左翼連合政権を成立させた。大統領は共和党のシラクだったので、この政権は「コアビタシオン」と呼ばれた。コアビタシオン(Cohabitation)は「同居カップル」のこと。保守の大統領と革新の首相との共存政治体制をも、コアビタシオンと名づけたところが面白い。ジョスパン首相は、施政方針演説で「男女同数制(パリテ)を実現するために憲法を改正する」と宣言した。

イヴェット・ルーディらの社会党は、1982年に「地方選の25%クオータ制」法案を作ることに成功したものの、憲法院から違憲とされる苦い経験をした。違憲判決を跳ね返し乗り超える論理が必要だった。理論家の中心に、ジョスパン首相の妻であり哲学教授のシルヴィアンヌ・アガサンスキーがいた。その主張を私流にごく簡便に表現すればこうだ。

「そもそも人類は女性と男性でなりたっている。女性抜きの社会なんてありえない。だから私たちフランス社会は、差別をなくすために暫定的に女性議員を増やそうというクオータ制ではなく、女性と男性が政治権力を半々に分かち合うための法をつくるべきだ」

こうして1999年、憲法にパリテ(男女同数)条項が入れられ、翌2000年、通称パリテ法という男女半々選挙法ができた。今日のポスターは、その歴史的大改革運動の表紙である。

(三井マリ子/「i女のしんぶん」2022年1月1日号)

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