第103回 女の拳で「女性の家」を造る(デンマーク)
世界中で、女性たちが女性であることに喜び、女性差別撤廃に声を上げる日、国際女性デー(3月8日)が、もうじきやってくる。
国際女性デーは、1910年8月、デンマークでの国際社会主義女性大会で提唱された。世界17カ国から女性たちが、汽車や船でやってきた。議論に次ぐ議論の末に活動目標を「各国の女性運動組織の国際的連携」「各国での女性参政権獲得」「母子福祉政策の確立」の3本にしぼった。最終日、「女性参政権獲得の闘いを、メーデーのように世界中でいっせいに」と宣言した。
翌1911年3月、「国際女性デー」が世界各地で初めて挙行された。デンマーク、オーストリア、ドイツ、スイスを中心に100万人以上がデモと集会に参加したそうだ。
デンマークは当時の記録をネットで公開しているのだが、それによるとコペンハーゲンの第1回女性デーは、デモ行進後の集会に「公民館」へ600人、「職人組合館」へ900人も押し寄せて会場に入りきれず、急遽野外集会となった。女性に選挙権がないことへの激しい怒りと悔しさ、燃えたぎる闘争心が込められた宣言文が採択された。
デンマーク女性は、それから4年後の1915年に参政権を獲得した。
このポスターは半世紀以上経た1979年、アンデルセン生誕の地オーデンセでの国際女性デーのもの。デンマーク民主党女性協会、全国青年教育協会、デンマーク共産党、社会民主党青年部、左派社会党、「女性の家」協会など加盟団体が多彩なのが印象的。女性解放団体「レッドストッキング」が元気はつらつな頃だ(「叫ぶ芸術」72回参照)。
女性が握りこぶしで壁をぶち破っている。目を引くのは「闘争の日 KAMPDAG」というデンマーク語。国際女性デーを「国際女性闘争デー」と呼んでいるのである。この年のオーデンセは、闘いの目標を「女性の家」創設に絞っていた。70年代前半、コペンハーゲンなどは女たちが空き家を占拠して「女性の家」を造り、女性解放運動の拠点にもなった。そんな場をオーデンセにも作ろう、と呼びかけたのだ。
午前10時、オーデンセ市民の憩いの場ムンクムーセ公園に集合。演説、デモ行進。その後、演劇、音楽、展示、女性だけのパーティ…といった催しが、市のあちこちで夜中の1時まで続いた。
ちなみに日本だが、1911年に大逆事件で幸徳秋水、管野スガらの死刑が執行され、「窒息の時代」がずーっと続いて、女性が参政権を獲得したのは敗戦後の1946年だった。
(三井マリ子/「i女のしんぶん」2022年2月10日号)
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