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第111回 国際女性デーの栄枯盛衰(ノルウェー)


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今夏の参院選で、女性は候補も当選も過去最多だった。非改選を含め参院の女性議員は64人、25・8%となった。この候補の中に「性産業を法的に認め、セックスワーカーの権利擁護を」と唱えた女性がいて、ノルウェーの今年の国際女性デーを思い出させた。

ノルウェー女性の地位は世界トップクラスなのだが、それでもなお毎年、女性団体、政党、労組などによる実行委員会が、1年間会議をして方針を決め、国際女性デーに爆発させる。今年のオスロ実行委員会で激しい論議の的になったのは、セックスワーカーの権利だった。

2009年、ノルウェーは性を買う側(ほとんど男)を処罰し、買われる側(ほとんど女)を処罰しないとする法律を制定した。これが今年、賛否の渦を巻き起こした。法に反対するグループは「買う側を処罰する法はセックスワーカーの生きる権利の侵害」と主張。侃々諤々の末、「カネで性を買う行為を犯罪とする現在の法律こそ大事」とする主張が通った。承服できないセックスワーカー側はカウンター・デモをした。

ノルウェーの国際女性デーは長い歴史を持つ。1915年、ソ連の平和運動家コロンタイが、オスロの女性デーで演説した。その後2つの世界大戦があって、女性デーどころではなかったが、70年代になると盛り上がった。本連載67回のように、妊娠中絶の合法化が主なテーマだった。「産む、産まないは女性自身が決める」とのスローガンを掲げ、1978年の女性デーには、オスロに2万人を超す女たちが集まった。後、妊娠中絶合法化が達成された。

1979年、男女平等法が施行されて男女平等オンブッドが誕生。1981年、ブルントラントが初の女性首相となり、閣僚の4割以上が女性になった。1969年9%だった女性国会議員が、1987年には36%になった。そして1988年、男女平等法にクオータ制が明文化された。

女性が社会の中枢に入っていくと同時に、女性デーは勢いを失っていった。今日のポスターはちょうどその頃、1986年3月8日のもの。ノルウェー南東部の都市ハマールの女たちが作った。

タイトルは「女たちは、できる、必ず」。メスマークの円に怒りのこぶしが女性解放運動のシンボルなのだが、このポスターには肝心の怒りのこぶしがない。女性が、弱体化した女性解放運動を必死に立て直そうとしているのである。

21世紀になって妊娠中絶法改悪の動きとともに、女性デーは息を吹き返した。2014年にはオスロに1万4000人! 70年代の情熱が戻ってきたかのようだ。

(三井マリ子/「i女のしんぶん」2022年10月10日号)


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