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毎月300時間の労働が私から奪ったもの

(2018年5月に書き始めたものです)

丸5年とちょっと、東京の小さな設計事務所で建築士として働いていた。やめて一年が経ち、今さならながら長時間労働の弊害を感じている。

私が働いていたような、いわゆる「アトリエ系建築設計事務所」は、残念ながらまだほとんどが「超」ブラック企業だ。
週末休めればいい方、だいたい朝10時から終電まで働き、現場が始まれば朝はもっと早くなるし、タクシーで夜中の3時4時に帰宅したことも数え切れない。顔も洗わずに寝てしまうこともしばしば、というか逆にすっぴん出勤当たり前。休みの日もスマホが手放せず、最初の1〜2年は週末もほぼなかったから、心が休まる時間は夢の中くらいのものだった。(でも夢の中でもよく追いかけられたり施主に怒られたりと魘された)。

給与は明らかに割に合わなかったが、実家暮らしであったことと、自分の時間がないため使う機会もなく、どうにか生きていけてしまうという負のスパイラルに飲み込まれていた。

これは私の勤めた事務所に限った話ではなく、本当にどこもかしこもそんなで、手取り10万円とかそれ以下なんて話もよく耳にした。(改善されていることを願う。)有名な事務所になればなるほど、誤解を恐れずに言えば社員は主宰者の手駒といった印象があった。私が就職した頃は、昨今話題の「働き方改革」と言ったものはまだ存在していなかったし、「パワハラ」「ブラック企業」「ワークライフバランス」という言葉も まだそこまで毎日話題になるような程ではなかったので、スタッフ側もその環境がいかに特殊で異常であるか、いまいち気づけていなかったと思う。この業界はこういうものなんだ、と言い聞かせるかのように。
この非効率的で劣悪と言わざるを得ない労働環境の原因は、日本人が良くも悪くも職人気質で完璧目指そうとするところと、低コスト、短期納品で依頼してくるクライアント側の意識の問題が大きい。(これはまた別の機会に。)

夏休みは10日間あった年もあれば、結局なかった年もある。当然だが恋人なんかいやしなかったし、そもそも気配すらなかった。というか、仕事を始めてから、仕事以外で新しい人と会うことが全くなかった。新しい友達や環境を作る気力がなかったのだ。数年に一度の海外旅行と、デパートの10%オフセール、就寝前のネットサーフィンと、たまの友達との飲み会を生きがいに過ごした。よくもまあそんなになるまで働いたと思う。ただ、不満はあったが、一方で会社と私の関係は良好だったし、それなりにやりがいもあった。なにより現場で自分たちが設計したものが現実のものとなって立ち上がっていく様子は、未曾有の不安と引き換えに、毎回興奮した。


とにかく私は5年間、毎月ほぼ300時間働く生活を続けた。
世に言う過労死ラインなにれそれ美味しいの?状態である。

そして、漠然と「このままでいいのか」という問いが体を雁字搦めにし、30歳を目前にした時それはぐわんぐわんと頭の中で鳴り響き、遂に自分の中で無視できなくなっていた。

何かに追い立てられるように、1年前、仕事を辞めた。そして全く新しい環境にチャレンジするなら、年齢的に自分には今しかないと思い、なけなしの貯金と中学生もびっくりするレベルの英語力と共に渡欧し、気づけば2年目に突入している。


今になって、長時間労働の弊害を強く感じている。

というのは、自由時間に何をしたらいいのか分からない、うまく使えないのだ。
これは日本にいた時から若干気づいていたが、当時いざ時間が空いてみれば、惰眠を貪る、動画を見る(しかも主にyoutubeに落ちてるバラエティー番組の破片)、ひとりで買い物に行く、位しかやることがなかったのだが、海外生活で、散歩、友達を誘ってフリーマケットなどのイベント、カフェに行く、というものが加わった程度で、残念ながら根本が変わらない。
幸い数名のフラットメイトとシェアして住んでいるので、彼らと遊びに出かけたり食事を共にする機会は増えたが、予定のぽっかり空いた週末に、結局日本と同じ怠惰な作業を繰り返すばかりになってしまっている。
本来ならば、今までできなかったインプットに宛てたり、違うアウトプットに費やすべきなんだろう。美術館に行ったり、絵を描いたり、料理をしたり。何か新しいことをしてみたっていい。というか、それをするための時間として海外に来たはずである。

ところがだ。
気づけはインプットもアウトプットも、体も思考も何もかもが動かなくなっている自分に気がついた。面倒臭い。ただ本当にソファから動けないでダラついてしまう。昔はこんなんじゃなかったのに。もっともっと創造的なことが大好きで、毎日何か描いたり作ったりしている子供、学生だったのに。どうしてこうなってしまったのだろう。
小学生の頃、もののけ姫を見て、その世界観の中に入り込んで、オリジナルキャラクターの詳細な設定画を友達と作って山で遊んだり、中高生のころは漫画や音楽ハマりすぎて毎日ファンアートを描いてみたり、大学時代はカメラ片手にひたすら散歩したり、TSUTAYAに毎週通って3ヶ月で50本映画を観たりなんてことをしていたのに。

いま私が感じている、長時間労働の弊害は、想像力、創造力、行動力、好奇心の欠如だ。300時間労働がもたらしたのは、肉体的な疲労や、ストレスといった表面的なことだけではなく、もっと根深い人間性とも言えるところへの大打撃だった。本当に今になるまで気づかなかった。一年仕事から離れたらたくさんのインプットができて、あらゆることがリフレッシュされ、いままでできなかったいろんなことができると思っていたのに。時間ができれば創作意欲や建築への熱意が息を吐き返すように復活すると思い込んでいた。そう信じていたのに、私のあの好奇心はどこへ行ってしまったのだろう。

失ったものがあまりに大きい。それが悲しくて仕方がない。
どうにかしたいが、現状どうすればいいのかわからない。



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