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覚醒剤やめますか?それとも人間やめますか?って文を見たときに、どっちをやめれば覚醒剤をやめたことになるのか分からない(書いてあるのに。)
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なんだか真面目に日記を書いてみようかしら という気持ちにある。他人がある程度読むに堪えて、面白みのあるもの......というのを真面目にという言葉に言い換えた。▶︎も(さんかく)とスマホのキーボードに打って出した。自分を弱そうに、情けなく演出するのも、本当は卑怯だと思っている。
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いちおう文学部の生徒ではあるので、短い近代小説を読んで、学生相応のレポートを書いたりする。規定の文字数を達成するために、本文などから根拠となる文言を拾い集めて、自分の考えを主張する。本来はいくつかの根拠→主張に至るべきなのかもしれないけれど、実際その順序は曖昧で、読んでいる最中に無意識に、同時に行ってしまう。
こういう作業をしていると、将来陰謀論に引っかかりやすくなりそうだな と思う。妥当そうな主張を先に考えて、後からその合理性を検討する。カルトだったり陰謀論はその主張を私に差し出してくれて、あとは私が辻褄の合うように事実を歪めるだけになる。合理性を判断するのはあくまで私だから、先の主張がいくら突飛でも むしろ突飛な方が 抵抗なく主張を信じてしまう気がする。
この前Twitterで、宗教の戒律が持つ合理性について語るツイートと、そのツイートに対する反応を見た。
別に宗教にかぎらず、私たちはかなり漠然とした理由で行動する。それとは別に物事には理由が、単なる理由じゃなくて理解が可能で、理解して快感のある理由が欲しいのも、分かる。そして私(たち?)が強力で親身な理由を求めてしまうのは、逃れられない運命である気がする。運命。
このツイート群に関して完璧な判断(完璧な、判断?)は私にはできないけれど、もう少しだけこの話題を覚えている、と思う。重要なことが多すぎるので、すぐに忘れる。