眠れる森のビヨ

配信2回目のほぼ実況考察とクソ浅感想 すべて自分用

心電図(?)の音 既にヒカルは昏睡状態なのでここでの夢は逆に現実?「みんな呼びかけても動かない」→微かに残っている事故の記憶 「僕の体も〜」「ひまりが現れる」「悲しい顔」→うっすら意識が戻っているものの体が動かない、病室に来たヒマリがなんとなく見えている 「夢から覚めた」→完全に意識が無くなる、夢の世界に

トラックに轢かれそうになる→これも微かに残る事故の記憶からくるもの?

山上のセンター分けハチャメチャすき……………山上の堅物感と浜田の軟派っぽさのバランスが良い、多分1年生の頃から演劇部で一緒で、多分最初はもっと同学年の部員いたんだろうけど徐々にやめていって最終的に残った2人とかだから互いへの信頼は半端じゃなさそう 多分山上は自分が結構堅苦しい分浜田の明るさに救われてる 知らんけど あと「可哀想に、一年生」のあとの不敵な笑みカッコよすぎませんか?いっちゃんはこういう鼻で笑う感じがとても上手いし似合う 

ほのぴネネちゃんのナチュラルなセリフの言い方がとてもすき!(小並)

ノゾミとヒカルは周りからはあいつら結構お似合いじゃね?なんかよく言い合いしてるけど夫婦漫才みたいだよな〜って言われてるけど本人たちはお互いのことどうも思ってないしお互いがタイプじゃないんだよなあって思ってる系のあれ

どうでもいいけどこういうの演劇部のやりとりや流れは本当の事故前の記憶を辿ってるのか、みよちゃんが作り出しただけの世界なのかどっちなんでしょうね…………どちらとも読み取れてしまうのが楽しい……………………

山上のダンス、本当に山上!って感じでほんとすき…………………山上のことよく知らないけどさ………………まあ長い脚を持て余していらっしゃるな……………………

ヒマリが同い年の幼なじみとして出てくるところはおそらく完全にみよちゃんの想像で創造した「ヒマリ」なんだよな そのヒマリが出てくるタイミングってなんだろう まだ分からん

「余計なこと」→初見だと?だったけど、この余計なことは脚本を書くことの後押しではなくて、そもそも事故に合うきっかけに(結果的に)なったあのこと?ここのヒマリはモノローグだしヒカルの夢の中の造り上げた「ヒマリ」ではなくて、おそらく病室では思いを馳せている本当のヒマリ 心電図の音もあるしね そのあとの回想、結末知るまではふたりとも同い年でお互い幼い頃の思い出に思えてしまうよな………でもヒマリに比べてヒカルがやけに大人びてるなあとは思ってたんだよ確かに……違和感の正体はこれか…ってなるし、2週目だと観るのが辛い

歌が下手な演技が上手い前ここ

「音をよく」きいて、まで言わないのが浜田 山上なら言う(ハ?)

この「大丈夫?」「うん、ありがと」のたった二言から伝わる絶大な浜山の信頼感…………はァ………………………

ここのネネとヒカルどういう話してるんだろ………………

ネネ、もしかしなくても絶対モテる 派手ではないしとっても明るいムードメーカー!クラスの人気者!ってタイプでもないけど、誰にでも分け隔てなく優しくできるしかといって控えめ過ぎずそれなりに軽口も叩けるから、たまたま隣の席になって優しいだけじゃないネネを知った男子はこれってもしかして俺にだけ…?っていう勘違いしがち 誰だよお前

ここツムギ急激に歌上手くなんのちょっと笑った

そんなどストレートにぶっころす!とか言っちゃう?(笑)

タマエの能天気っぽいけど実はできるオンナ感いいな

引きでダンス踊るヒカルマジで山田涼介

「手を取る」って表現多いね ここではまだその重さに気付けない…………………

ヘリコプターの音、起きないヒマリ、トラックの音 事故の記憶なのは確実だけど未だにあんまり分からないシーンだな………………壁は現実とヒカルの夢を阻むもの、ヒカルの夢の中では現実と夢が逆さまなので、生きているヒマリが逆に寝ている?ヒカルの「夢」→現実に近づいている、うっすら意識があるような状態って解釈だったんだけど、じゃあこのシーンのとき、現実のヒカルには何が起きていたんだろう 知らん

夢の中に出てくる「ヒマリ」→ヒカルの中に残る事故の記憶や現実への意識の全て、この世界に感じている違和感のあらわれもある?ここでは最後のシーンに悩んでる→現実へ戻るか夢に留まるか 自分自身の悩み その葛藤をうつすのが現実にいる存在のヒマリ とか

「誰と喋ってたの?〜」→夢子はヒカルが好き、っていう前情報のせいで見事に真実がぼやかされてる気がする………………これだと「ヒマリという女の子の存在に嫉妬する夢子」だもんね…………………

もし華山高校演劇部でシンデレラをやることがあるなら、ほぼ確で継母、義姉はノゾミカナエタマエでしょうね…………知らんけど

浜田「抱かせておくれ?」ハイどうぞ!(違う)

山上「何を言っているんだアイツは…!」これはガチの困惑山上 かわいいね

ラストシーンへの悩み、ツムギの助言→これが事故前の記憶を辿っているとしても、ヒカルの夢である以上「今」のヒカルが造り上げた演劇部皆の像や抱える葛藤(現実に戻るかここに留まるか)が少なからず反映された創造物であるはずで、そう考えるとツムギのラストシーンに対する助言はヒカルの願望では?まあそうなると、ヒマリも演劇部も結局ヒカルの現実と夢それぞれへの願いの象徴なのか

一度目覚めた姫が再び夢へ戻る決意をする→これは感想でも考察でもなんでもないけど、ヒカルにだってその可能性があるわけだよね、ヒカルは夢の中にいる状態で、このまま永遠の眠りにつくか現実への戻るかの選択を迫られるわけだけど、一度目を覚ましてもやっぱり夢の中の世界をえらんで戻ってしまう→死を選ぶ可能性だってなくはないわけで、それって怖くないですか?最終的にヒカルはヒマリの手を取って生きることを選択はしたけれど、じゃあその先幸せになるかって言ったら、そんな言及も確証もないわけで

「私は嫌い」→このヒマリはどっちのヒマリ?って思ったけど、ユッコに聞こえていることからこれは夢の中→ヒカルの造り上げたヒマリで、すなわちヒカルがもうひとつ抱えるこの世界への違和感、ここに留まって眠り続けることへの疑問や拒否=現実への願い

そしてそのあとは心電図の音も聞こえることから現実のヒマリ なんか色んな考察見て思ったけど確かに少し幼くなるよね、語彙とか話し方とか表情も 凄い………同い年の幼なじみではない、5つ年下のヒマリ

「ヒマリって幽霊みたい」→これは完璧にミスリードさせようとしてきてるな……………ここまでだとヒマリがヒカルの状況だと勘違いしちゃう すごい

主観だけど現実に戻って仲間を失った世界でひとり孤独と責任を抱えて生きることと、このまま夢の中で仲間と楽しい時間を過ごすことなら、おそらく後者の方がきっと幸せで、この時点でヒカルはここに留まる気持ちが大きかった だからこそまだうっすら残る現実への願いと記憶、真実(→それらを表すヒマリ?)が異質なものに感じられるし、ヒマリとの言い合いも結局はヒカルの中の自問自答で葛藤 この方が幸せ、と思っているのに、確かに覚えている現実が違和感を押し込んでくる 現実へと近付けてくる

言い合いからの夢子達登場→「ヒマリって誰?」→ここから空気が変わるよね

今まで「うっすら」だった記憶や違和感が確実なものになってくる

わ〜ン、ここから諦めました

これをハッピーエンドととるか、バッドエンドととるかは観劇者に委ねられているけれど、私も正直分かんないです、これからどうなるのか、ヒカルが決めていくんだろうと思う きっとこの先ヒカルは辛いリハビリを繰り返して、失われた5年の大きさに打ちひしがれて、一人生きる孤独と罪の意識を背負って、そして夢の中でもう二度と会えない演劇部の皆ともう戻らない楽しい思い出に触れる度に、辛くて切なくて寂しい思いをするんだろうな、言い過ぎかもしれないけれど、死んでしまいたいと思うくらい

華山高校の「眠れる森の美女」は、一度目覚めたけれどまた夢の中に戻ることを選んだ、ヒカルがその先同じ決断をしない確証もないわけで この話さっきもしたな?

ただ、いち観劇者として私は、できることならこの先「生きていて良かった」と思うような幸せがヒカルの人生に溢れていて欲しいなあ、と思うわけです

そして「ヒマリ」と「ツムギ」という存在についてなんですが、少なくともヒカルの夢の中のヒマリは、幼なじみであるということ以外はヒカルが創り上げたもので、眠れる森の美女の結末を否定し真実を叫び現実に戻ろうとする、言わばヒカルの現実へ戻りたい希望や願い、生きたいという気持ちの現れって話はさっきしました、そして夢の中の「ツムギ」も同じく、同じくというかヒマリと反対に、このまま夢の中で演劇部の皆と楽しい時間を過ごしていたいという気持ちを写した存在だと思うんだけど、そもそも事故の前、現実の演劇部に「ツムギ」は存在していたのか?と思うわけです

ヒカルの精神世界は、どこまでが現実の記憶でどこからがヒカルの造り上げた夢なのか、もしくは全てヒカルの創り上げたものなのかは私には分からないけど、ツムギの行動は全てヒカルをこの世界に留まらせるためのものに思えました、なんというか、「ツムギ」はヒカルのこの世界に留まるという願いを叶えるために、その願いを正当化し実現させるためにヒカルの中で創り上げた、この世界に留まるという結末へのいわば案内人というか道具というか、そういう可能性だってなくもないわけですよね 歌やダンスが下手、転校する、衣装や道具を破壊する、という「設定」や行動は全てあまりにも都合良くヒカルと演劇部の絆を深めているから

そしてなによりツムギにはヒマリが見えていた、それは、結局ツムギもヒマリも「ヒカル」であるから?とも思うわけです ていうかそもそも夢の世界では、演劇部も結局ヒカルの記憶に基づいた想像だから、全て「ヒカル」であるとも言えてしまうけど

まあね!ツムヒカコンビ厨()が大前提である私なのでこんだけ考えても結局ツムギは存在していた説を推します 勿論 妄想させてよう………………

最後のヒマリの「また明日ね」、ヒカルはきちんと守るだろうと思います、妹のような大切な存在のヒマリの言葉だから 事故前からヒカルにはきっとヒマリには甘くて、ワガママもお願いも大体聞いてあげてきたし、だから地区大会も行くしまた「明日」をヒマリのために生きる 逆に、その言葉が無ければヒカルは突然明日どこか遠くへ行って二度と帰ってこなくなるかもしれない ヒマリはそれが分かっていて、この先ずっと、毎日「また明日」とヒカルに言い続けるのかもしれないね これはふせった〜で言ったな

これ以上続けるとキリがなさそうなので終わる また円盤が出て見返せたらいろいろ書き足すかも






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