私の鯵
https://www.youtube.com/watch?v=dP6IlQnf4zY
大阪の農業高校で行われている「命の授業」についてのドキュメンタリーを見ていた。
合鴨農法用に鴨を雛から育て、成長したら生徒自らの手で屠畜し、その肉を料理して他人にふるまうまでの授業だ。
鴨の雛は初めて見た動くものを親と認識する。自分の後をトコトコついて来る鴨は愛らしいが行く末を知っているから名前は付けない、とインタビューに答えている生徒がいた。自分も同じ理由で名前を付けたりはしないだろうと思った。
Netflixのバーベキューコンテスト・ドキュメンタリー番組「アメリカンバーベキュー最強決戦! 」ではこれとは真逆の振る舞いを見る事ができて興味深かった。
決勝戦用に用意された豚1頭に、挑戦者たちはそれぞれ自発的に名前を付けるのだ。 豚の名付け親になる事で豚の全責任を負う覚悟を決めている感がある。
また、 審査員の方も慣れない豚一頭の調理に戸惑う挑戦者にこう声をかける。 「それはあなたの豚よ(しっかりしなさい)」と。
スーパーで売られるパック肉の動物達に名前はない。 だけどもそのモモ肉、バラ肉、カタ肉、ヒレ肉の持ち主に思いを馳せ、 生前のその姿に名前を付けるくらいの想像力は持っていたい。 そして自分が扱う肉類は「私の物」として、全て捨てるところのないよう責任感を持って調理していきたいと思った。
先週、実家近くの魚スーパーで買った大きな鯵は買ってすぐに干物にしたのだが連日干物で一献、というのにも飽きたので一尾はほぐし身にした。
鯵の開きは焼いてから身をほぐす。
ほぐした後の骨やヒレや頭はそのままには捨てない。
水と酒、昆布と一緒に火をかけて煮出せば焼きアゴ出汁ならぬ 焼きアジ出汁になる。
椀に温めた余りご飯、ミツバ、ネギ、それからほぐし身を乗せて、 鯵の出汁を回し入れたら「鯵茶漬け」の完成だ。 鯵の焼けた部分から香ばしい、ほうじ茶のような風味が出て美味しいお茶漬けになった。見かけは悪いけれども。
これを余す事なく食べ、器を下げた台所で、すっかり味が抜けきった骨ガラを見てこれなら「私の鯵」と呼んでもバチが当たらないかなと思うが・・・・そうだった。
我が母はこの骨を保存しておいて、たまったら油で揚げて骨煎餅にし 骨粗鬆症対策にボリボリ食べていた事を思い出す。
「私の動物」と呼ぶ境地に至るにはまだ早そうだ。