焼き竹の子を白湯でいただく朝
竹の子を買えばヌカなんて只で付いてきたものだけど、近年はすっかり別売りになっておりつくづく世知辛い世の中になったものだと思う。よって1シーズンの初回茹ではヌカを買い忘れてしまい丸腰状態で茹でる不本意な流れになり、結果アクで舌がビリビリする竹の子を味わうハメになるが、それも風物詩の一つとして前向きに捉えたい。
茹で上がった竹の子は、先端部分の姫皮を温存しながら皮を剥くので写真のようなユニコーン状の茹で竹の子になる。インスタ映えしないがこのツノ部分は柔らかく汁ものの具などに使えるので映えは諦めよう。
配偶者の店でも出しているので、すでに今年の竹の子料理は一通り味わっているが焼き竹の子がまだだったな、と気がついた。ワンオペ営業である配偶者の店では焼き具合を注視している余裕がなく品書きから消した「焼き竹の子」だ。何がなんでも食べたい料理ではないが1シーズンに一回くらいは食べておきたくはある。
店で出す焼き竹の子には薄い出汁で下味をつけているが、こちらは場当たり調理なのでそのままドンと網に乗せる。そこに届いたばかりの友人お手製の醤油(「友人お手製の醤油」というパワーワード)を塗りながら焼くスタイルだ。
何もかもが不明でしかない醤油の製造工程だが、とにかく友人が醸した(醸す、で当っているのかも不明)醤油は風味と塩味が濃く「むかし醤油」とでも名付けたい濃厚な味わい。焼き物にはうってつけに思えたのでこれに刻んだ山椒の葉を混ぜ山椒醤油にし、ハケで塗り重ねながら竹の子の焼き上がりを待つ。
焼けた炭に落ちる醤油の香ばしい匂いだけで米飯が進みそうだが、ここは日本酒だろう。まだ焼けていない竹の子をフライング食いしながら酒を飲みながらじっと待つ。
しかし醤油って自分で作れるのか。
諸々不明な香ばしさに包まれながら酒を飲む、ミステリアスな春の宵だった。
焼き竹の子は焼き上がりを食べるのももちろん良いけれど、あくる日の冷めた焼き竹の子もいいと思った。繊維の中まで醤油が染み込んでいてこっちはこっちで別件の旨みがある・・・と頬張っているとどうにも日本酒が欲しくなり、少量なら、とついおちょこに注いでしまった。
時は朝7時半。
人として王手がかかっている気がしないでもないが、大らかな目で見ればアルコール入りの白湯だと思い込めなくもないし、もしかするとヘルス的にめざましい効果があるかもしれない。
実証するべく2杯目の白湯をおかわりしに行く。