偶然なんて無い
【全ては偶然ではなく、必然である。】
これは物事を前向きに捉える言葉です。
では、【人の死】に対してはどうでしょうか?
今回はこの言葉の意味と、
それにまつわる考え方を紹介します。
【全ては偶然ではなく、必然である。】
これは私の中にある大事な言葉のひとつです。
以前にこれを同僚に話したところ、
「何かの宗教ですか?」と言われました。。。
いやいや、これは宗教の勧誘等ではなく、
良い結果を導く為の大事な言葉です。
この世界で生きていると、色々な出来事が起こります。
その捉え方次第で、それは悪い出来事にもなるし、良い出来事にもなります。
【全ては必然である】という言葉は、全ての出来事を、自分の成長にとって良い出来事にする為の言葉です。
例えばこんな場面です。
部署異動となり、
新しい職場の上司は会社でも有名なパワハラ上司です。
さて、この出来事はあなたにとってどんな出来事でしょうか?
普通は嫌ですよね。出来ればそんな面倒な環境にはなりたくはずです。
しかし、この時【全ては必然である】と考えれば、
この出来事は、今の自分に足りないモノを埋めるために課せられた課題であるという事に気付かせてくれます。
完全な人間なんていません。
だから、今目の前に表れた壁は、自分を成長されるために必然として表れたのだと。
そんな風に考えれば、
「じゃぁどうしようか?」と、頭の中では次の一手を考え始めるのです。
世の中は理不尽な事だらけです。
けど、それらが全て自分の成長の糧にできるとしたら、
これほど恵まれた環境は無いでしょう。
それでは人の死はどうでしょうか?
人が死ぬという事を前向きに捉えるとは、どういう事なのでしょうか?
昔からおばあちゃんっ子であった私は、わざわざ学校帰りに祖母に会いに行ってました。
祖母はいつも笑顔で私にお菓子をくれました。私はお菓子も嬉しかったですが、何より優しい祖母の笑顔が大好きでした。
私が行くとたくさんのお話をしてくれました。
本当にたくさんの良い思い出ばかりが残っています。
そんな祖母が数年前に他界しました。
葬式の最中、家族は皆、まだ信じられないという思いでいっぱいでした。
特に母にとってはかけがえのない母親であり、それから何日も心に穴が開いた状態でした。
その気持ちは痛い程わかります。
私だって祖母のあの優しい笑顔が見れなくなるのは、身体が引き剥がされるくらいツライです。
けど、そもそも人はいつかは死ぬものです。そして次の世代にバトンを繋いでいくものです。
今この世界に我々が生きているのは、そんな多くの先祖が、家を作り、街を作り、社会を作ってくれたお陰です。
我々が今ここに生きているという事は代々続く先祖たちが私たちに命を繋いでくれた証なのです。
だから私はこんな風に考えます。
祖母は私たちに次のバトンを託してくれたんだと、この社会の一員として命を燃やしてバトンを繋いでくれたんだと、だからそれに答えなくてはならない。
そうやって前向きに生きる事が、天国で見てくれている祖母が望んでいる事なんだと。
【全ては必然である。】
だから私は前に進むことができる。