初めてのコロナ感染
2022年5月4日、全ての悪夢はここから始まりました。
私の家族は、私・妻・長男・長女の4人家族です。
ゴールデンウィーク中、上のお兄ちゃんは毎日のように地域の野球チームでグランド練習でした。
野球チームは1年半ほど続けていますが、息子は毎回練習に集中できず、チーム員の小学生と遊ぶ事が大好きで、一向に野球の技術向上は見込めませんでした。当然、試合に出る回数も他の子よりも少なめです。
そんな息子も最近少しずつ意識が変わり、練習に集中するようになってきて私も一生懸命に頑張る息子を応援していました。
2022年5月4日
この日は遠征の大会で試合がありました。息子含め2群の子達はグランドに残って練習のはずでした。しかし、その日は家族の都合で休みの子が多く、監督から息子にベンチ入りの許可が下りたのでした。
補欠とは言え、試合に参加させてもらえる事に私は喜び、何度も監督にお礼を言いました。
車中
「補欠でも良い。きっと試合に参加する事で息子の中で何かを感じ取ってくれるはずだ」と期待に胸を膨らませて遠征先まで行ったのでした。
そして、遠征先
前の試合が長引いていたので、子供たちは周辺でアップを終えて、各々に試合の準備をしたり、子供同士でじゃれ合ったりしていました。わが子はと言うと、座り込んで下を向いていました。
初めは気にしていなかったのですが、どうやら様子が変です。
「どうした?日陰で少し休むか?」と監督が声を掛けているのが見えました。
(ん?体調不良?)
木陰で休む息子のソバに行き、声を掛けました。
「しんどいんか?」
息子は頷きます。
周りのお母さんも心配してくれて
「どう?帰る?それとも試合ガンバル?」と聞いてくれました。
私の期待を感じてか息子は
「ガンバル」と言って、またうつむきました。
私が、おでこに手を当てると、少々熱っぽい。
(熱中症か?)
「ほんとに大丈夫か?無理しなくて良いから帰るか?」と聞くと、
「帰る。なんだか寒気がする」と言ったので、
少々残念な思いはありましたが、
ここは息子の体調を優先して帰らせる事にしました。
1時間後
妻には予め連絡しておいたので、帰宅後すぐに体温を計りました。
39.4℃
(嘘だろ?まさか…)
すぐに最寄りの大きな病院の緊急に行き、息子を見てもらいました。
血中酸素濃度 問題なし。肺の音にも問題なし。いろいろと診てもらいましたが、医師が出した診断結果は、コロナではないだろうとの事でした。
少し安心して、その日は家に戻りました。
とにかく高熱のため、早く寝かせてあげる事にしました。
私の会社では、家族に37.5℃以上の発熱がある場合、抗原検査を実施して
陰性である事が確認できないと出社できません。
私は5月6日から出勤でしたので、抗原検査をと思いましたが、
熱が高すぎるので、翌5月5日に最寄りの発熱外来を受診し、
PCR検査を実施する事にしました。
結果は、その日の内に出ました。
コロナ陽性
一瞬何が起きたのか判らなくなり、頭が真っ白になったのを覚えています。
息子がコロナに感染した。
この連休中に息子が接した中でコロナ発症者や濃厚接触者は居ないはずで、
感染経路は不明です。
ただちに妻と話し合いを行い、自宅療養として、準備を整え、息子の隔離生活をスタートしました。
幸い、息子の熱はすぐに下がり出し。2日目には解熱しました。
しかし、悪夢は終わりません。
2022年5月6日
今度は娘が発熱しました。初めは38.6℃。
その後39.1℃まで上昇します。
妻は車の運転ができないため、私が運転し、幼い娘を連れて病院へ行きました。
GW中でしたし、息子を連れて行った病院は休診日で、別の病院を探して受診する事にしました。
病院はそこまで大きくなく、駐車場は全て埋まっており、道路に車の列ができていました。しかし、なんとかかんとか順番が来て、娘もPCR検査を実施できました。
翌日、娘の診断結果が来ました。
コロナ陽性でした。
(やっぱりか…)
困ったのは、生活スタイルです。
息子だけであれば、隔離での自宅療養は可能なのですが、
娘は今年小学1年生になったばかりで、1日中一人で居る事はできません。
つまり、隔離できないのです。
妻は「2人の子は私が看るから、あなただけは別の部屋で生活してほしい」
妻の考えは、夫婦が同時に高熱で倒れるのが一番避けなければならない事態だと考え、自分が人柱になって、感染するリスクを背負いながら二人の子供の看病を行うという事でした。
妻の決心に、最愛のパートナーにやはり間違いは無かったと思った瞬間でした。
そこから、私だけが逆隔離の状態の生活が始まりました。
近所の目もあり、外出は避けるようにするために、近所のライフのネット宅配サービスを利用する事にしました。毎日の3食は配達員が家まで持って来てくれます。普段買い物するよりも高価にはなりますが、背に腹は代えられません。
同じ家に居るのに息子と娘の顔すら見る事が出来ない状態は、ツラく寂しいものでした。妻が私の部屋まで食事を届けに来てくれる時だけ、妻とだけマスク越しに会話をするのが、私にとって家族の唯一の繋がりでした。
悪夢はさらに続きます。
2022年5月8日
妻が発熱しました。
分かってはいましたが、いよいよ来たか。という感じでした。
息子は解熱し、娘も熱はあるもののだいぶ下がっては来ていたので、私の運転で妻を病院まで運び、PCR検査を実施しました。
PCR検査の結果は、2~3日で判る予定です。
妻も39.4℃まで上がっており、恐らくコロナ陽性でしょう。
妻はもらった薬を服用しながら、熱が下がっている内に、子供たちの世話をして、何とか私がその空間に入らなくても済むように配慮してくれています。
ここまで何もできない自分が歯がゆいと同時に、妻の顔さえ見る事ができなくなった孤独、外出もできず、社会からも孤立した状態で、日々配達される弁当だけの生活がこれから何日も続きます。
辛うじて、平日は在宅勤務で仕事はできるものの、家族が心配です。
コロナが蔓延しだして2年以上経過した今、初めてコロナの隔離生活というものを味わい、ここまでツライものかと実感しています。
息子はキッズ携帯をもっているので、
「かならず元の生活に戻る日が来るから、それまで頑張ろうな」と毎日メールしています。
妻も頑張ってくれている。ここで自分だけが弱音を吐くわけにはいかない。
そんな闘志の中、この気持ちを忘れまいとnoteに記します。
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