一人暮らし
結局のところ、家で急に意識不明に陥った場合、誰が最初に気付いて救急車を呼んでくれるのかって話で、それが一人暮らしの不安の全てだ。
例えば、頭上のエアコンが落下してきて意識を失う。
誰が最初に気付いてくれるのか。
出勤時間になっても僕が出勤してこないことに腹を立てたバイト先の店長か。
ライブの開場時間になっても僕の場当たりが終わっていないことに焦った主催者か。
ネタ見せの時刻になっても僕が現れないことに気付いた事務所のマネージャーか。
いや、たとえアルバイト1人と連絡が取れなくなったところで、店長がわざわざ家まで出向いてくれるとは思えない。バックれられたと思われて終わるだろうか。
僕がいなくても支障なくライブは盛り上がるだろうし、ワタナベエンターテインメントが僕を深追いしてくれるはずがない。
となるとやはり、遊びの誘いのLINEの既読が付かないことを疑問に思った友人か。
そもそも僕に遊びのLINEなんてほぼ来ない。
一日中誰からも連絡が来ないことは珍しくなく、ようやく来たかと思えば、ドラえもん【公式】からだったりする。
《余談》
・SNSにLINEのやりとりをスクショしてアップしてる人の未読のメッセージ数が気になる。やっぱりみんないっぱい連絡来てるんだ…って。
・「LINEのトーク履歴消えたので今日メッセージ送ってくれた人、もう一度送ってください!」みたいなツイートはそもそも誰も送ってなかったら虚しいから出来ない。
《余談終わり》
仮に連絡が来たとしても、僕の住所を知っていて尚且つ心配して家まで駆けつけてくれる関係性の友人が、果たして何人いるだろうか。
結果、だいたい1ヶ月に一度連絡してくる母親がLINEに既読がつかないことから異変に気付いてようやく発見…といったところだろうか。
これでは助からない!
すぐに処置すれば助かっていたはずの負傷が、自分の友人の少なさが原因となって助からないことになったら死んでも死に切れない。
あの世で、「普段から楽屋でもっと喋って、終演後も飲み会とかに行っておけばよかった。」と悔いるだろうか。
「TwitterやInstagramをこまめに投稿し、日頃から常に生存報告しておけばよかった。」と悔いるだろうか。
いずれにせよ、これでは家で迂闊に意識を失うこともできない。
そんなこんなで先月から、養成所の同期と3人でルームシェアを始めた。
間取り的に同居人Aは僕の部屋を通らないとベランダに洗濯物を干せないし、同居人Bは僕の部屋を通らないと自分の部屋に入れない。
なんという安心感。
これで同居人ABは、意識を失っている僕にすぐ気が付くし、僕が家で意識を失っていたら、いくら何でも救急車を呼ばざるを得ないだろう。
しかし、同居人ABとはお互い生活リズムが異なるため、僕が意識を失うタイミングによっては発見が遅れる可能性がある。この恵まれた環境にあぐらをかいていてはいけない。
できるだけたくさんの人に、僕が意識を失ったことを気付いてもらえるような環境づくりを目指すのだ。
とりあえず今は、引っ越したことを理由に、いろんな人を家に招いて、僕が意識を失う現場の立地を刷り込ませてもらっている最中。
そしてより関係性を深め、いざという時に駆けつけてくれる友人の手数を増やす作戦。
中野駅から徒歩7分。とても駆けつけやすいぞ!